健康オタクだった徳川家康 自分で漢方薬を調合していたってホント!?
平均寿命が30~40歳と言われたこの時代において、73歳まで生きた江戸幕府初代将軍:徳川家康。
徳川15代将軍の中でも2番目(一番の長寿は15代:徳川慶喜)に長生きした彼は、健康のために漢方薬を調合して飲んでいたといわれています。
どのような薬を調合して、飲んでいたのでしょうか。
健康へのこだわり
家康の健康志向は相当なものだったとして知られています。
健康志向となった理由として、長生きをして天下取りの機会を得ようとしたものだと伝わっています。
同盟者であった織田信長、幼い頃人質となっていた今川義元、それに武田信玄、上杉謙信、北条氏康など近隣には有力な武将たちが割拠していた戦国時代。
これらの者たちよりも少しでも長生きしなければ天下は取れないという思いが、生への執着を生み、健康志向に陥ったのでしょうか。
実際に家康が関ヶ原の戦いで石田三成を負かした時、彼はすでに60歳近く、当時としてはすでに長寿の域に入っていました。
家康の食事は質素で、食べ過ぎ・飲みすぎに注意していたと伝わっています。
普段の食事は麦飯・納豆・野菜の煮つけ・魚を好んだと言いますが、これは現代でも体にいいと言われるものですね。
また、当時は肉食が定着しておらず、獣肉を食べることはほとんどありませんでしたが、武士や貴族など支配階級のものは「薬食い」としてごく稀に肉食をすることがありました。
もちろん家康も例にもれず、「薬食い」として獣肉を食していました。
趣味は薬作り
家康は囲碁や猿楽、鷹狩など多くの趣味を持っていましたが、その中の一つに薬作りがありました。
家康は合戦の合間にも読めるようにと薬の専門書を持って行ったといい、暇さえあれば薬の研究に没頭していました。
中国の薬学書である『本草綱目』や『和剤局方』などを精読し、専門家も驚くほどの知識を持った家康は、大御所になる頃には自ら薬の調合を行っていました。
その調合の際に使われていた道具は今も残っています。
腎(生殖器も含む)や膵臓に良いとされている「八味地黄丸」を好んで調合し、日常的に服用していました。
『当代記』によると、松前藩の初代藩主となった松前慶広から二度ほど、精力剤の材料となるオットセイを献上され、薬の調合に使用したと書かれています。
また、「万病丹」や水銀やヒ素でできた「銀液丹」も調合していました。銀液丹は言わずもがな、万病丹も毒薬なので、極少量ずつ飲んでいたといいます。
自分の病気の見立てには自信を持っていた家康は、致命的な病を得た時も、医師の言うことを聞かず、万病丹ばかり飲んでいました。
異を唱えた医師を追放しましたが、もし医師の言うことにも耳を貸していればさらに長生きできたかもしれませんね。
鷹狩も健康のため
先述した通り、鷹狩も家康の趣味の一つでしたが、『中泉古老諸談』によると、家康は鷹狩を一種の遊芸としてではなく、体を鍛える方法とみなし、内臓の働きを促進させるものとしてとらえていたと書かれています。
趣味一つとっても健康につなげる家康のこだわりはとてもすごいですね。