滅びゆく江戸幕府と運命を共にし、幕末を駆け抜けた新撰組。
その新撰組の象徴とも言える隊旗の色ですが、様々なデザインがあったりしています。
実際にはどの隊旗が使われていたのか、隊旗の謎について、今回はご紹介していきます。
実は隊旗のデザインは5種類もあった!?
新撰組の隊旗には、多くの目撃証言が残っています。
赤地に白抜きの誠の文字、下部には白のダンダラ模様というデザインが、一般的に認識されているようですが、実は他にもいくつか種類があることが分かっています。
八木為三郎の説
新撰組が屯所とした八木家の息子である八木為三郎の証言によると、縦四尺、横三尺(約120cm×約90cm)とやや縦長で、「誠」の文字と山形のダンダラ模様が白く染め抜かれていたと言います。この証言から再現されたものが、現在、私たちが思う一般的な隊旗のデザインとして定着しました。
永倉新八の説
新撰組の生き証人として二番隊組長であった永倉新八が著した「新撰組顛末記」によると、八木為三郎の証言とは異なり、一辺六尺(約120cm)の正方形で、赤地に白く「誠」の文字を染め抜いていたとしています。
「誠忠」の文字説
やや縦長の赤地の布に、忠義一筋、という意味を持つ「誠忠」の文字が、ダンダラ模様と共に白く染め抜かれていたという証言もあります。
新撰組と名の付く前の壬生浪士組は「誠忠浪士組」と名乗っていたとも言われており、この当時の旗と考えられています。
また、文久三年の薩摩・会津藩によるクーデター八月十八日の政変の時には、騎馬提灯に「誠忠」の文字が書かれていたとも言われ、これらのことから、新撰組草創期には、このような「誠忠」のデザインもあったのではないかと推測されます。
白い縁取り説
ダンダラ模様ではなく、四辺全て白く縁どられていたという説もあります。
錦糸で刺しゅう説
ほとんどの説は赤地に白地といったデザインでありますが、「誠」の文字が金糸で刺しゅうされていたものが、大小三枚あったという証言もあるようです。
もしかすると、市中警護の時、御用改めの時、戦闘時と用途によって違うデザインを使い分けていたのかもしれませんが、賊軍として戊辰戦争が終結したとき、新撰組の象徴であった隊旗はおそらく徹底的に廃棄されたのでしょう。
それ故に残念なことに、これらの隊旗で現存しているものは見つかっていません。
なお、資料として、隊旗に似たようなデザインの、「新撰組袖章」が霊山歴史館に現存しています。
袖章は同士討ちを防ぎ身分を証明するものとして、隊士たちがつけていたもので、こちらは白地に赤く「誠」の文字が染められ、下部には赤のラインでダンダラが描かれています。
隊旗の色に込められた意味を、想像する
隊服のダンダラ模様については、忠臣譚として有名な歌舞伎演目「仮名手本忠臣蔵」の赤穂浪士の衣装をモチーフに、近藤勇自らのデザインで作られたとも、暗殺されてしまったもう一人の局長、芹沢鴨が考案したとも言われています。
ですので、ダンダラ模様が新撰組のトレードマークになったとするなら、そのまま隊旗にも取り入れたも考えられます。
隊服と同じ色にしなかった理由は、おそらく目立たせるためで隊士たちの色に紛れてしまわないようにしたのでしょう。
また、白く抜かれた「誠」の文字は、真っ白な心、忠誠心を表しているとされます。
そして、鮮やかな赤色は、ウソ偽りのないありのままの心といった意味を持つ「赤心」を表したものでしょうか。
それとも、自分たちの熱くたぎる血の色に似せたのでしょうか。
「誠」の旗の下で、彼らは何を思ったのかと、平和な時代を生きる私たちは想像してみます。
下から見上げる隊旗は、まさに隊服の色のような浅葱色の空に映え、隊士たちの士気と願いと決意を支えていたことでしょう。
たとえ血風に煽られても、「誠」の意味を見失わないために、隊旗は存在していたのかもしれません。