浅葱色のダンダラ模様の入った羽織を隊服としていたといわれている新撰組。
その本物の羽織はどこにあるのでしょうか。
残念ながら
結論から先に言ってしまうと、残念ながら現在、隊士が着ていた本物の羽織は見つかっていません。
そもそも隊服の「浅葱色=薄い藍色」に関しても「浅黄色=薄い黄色」だったのではないかという考察があるのも、本物が見つからないからです。
当時から数が足りていなかったとか、ほとんど着ていなかったとかいわれますから総数自体かなり少ないのかもしれませんが、200年前のことですのでどこかに仕舞ってあることを期待したいです。
ダンダラ羽織の写真!?
新撰組の隊士の写真と伝えられているものの中にダンダラ羽織を着たものがあります。
向かって右の人物の袖口がダンダラ模様です。これを見る限りではかなり濃い色に白抜きされているようですので、やはり「浅葱色」だったように見えます。
この写真を見る限りダンダラ模様は袖口のみで裾にはほどこされていないようです。現物がないのではっきりとはわかりませんが、「裾のところに4,5、袖のところに3つ位の山形模様が染め抜かれていた」という記述が残されており、そもそもこの写真も隊服ではないのかもしれません。
現存している「黒装束」
新撰組では「ダンダラ羽織」が廃止された後、いわゆる「黒装束」を来ていたとされています。これに関しては、そうではないかとされているものが形を変えて現存しています。
永倉新八の遺品にあった黒羅紗筒袖の陣羽織というのがそれで、北海道開拓記念館に所蔵されているそうです。
そういえば、幕末のパロディ漫画である『銀魂』の新撰組も上下黒の少しテカリのある素材の隊服を着ていますが、彼らの隊服の由来はこうした「黒装束」の記録によるものなのかもしれませんね。
他にも袖章が現存
土方歳三資料館には戊辰戦争最後の戦いである函館五稜郭で、新撰組が隊員を識別するために袖につけたとされる袖章が伝えられています。
五稜郭には新撰組以外にも、彰義隊や伝習隊など多くの小隊が参加しており、袖章なしでは敵味方さえも難しい状況だったようです。
この袖章をつけた隊員は総勢80数名いたとされていて、現在も土方歳三資料館以外にも函館市の博物館や京都・霊山博物館など23個が残されています。
うちどれかは土方がつけたものかもしれませんがそこまではわかっていないようです。
現在は人気のあるダンダラ羽織
隊員たちにはウケなかった「ダンダラ羽織」ですが、現代の新撰組ファンには人気のダンダラ羽織。
京都では「ダンダラ羽織」のレンタルもあり、その格好で街歩きも楽しめるようです。
現存していないためその実像もはっきりとはわかっていない「ダンダラ羽織」ですが、浅葱色のダンダラ模様というあまりに特徴的なものであるがゆえに、当時土方らが気に入って着たとされている「黒装束」以上にファンの人たちのあこがれの的として受け入れられているのかもしれません。