幕末きってのイケメン 土方歳三の子孫は現役レーサー!?
幕末の動乱に翻弄され、そして激しく散った新撰組副長、土方歳三。
実家の秘伝薬を行商するかたわら、剣術に明け暮れた青年期を過ごし、新撰組の前身となる浪士組に参加したのは、歳三が29歳の時。
その後六年間にわたり新撰組として戦い続けてきた歳三は、生涯を独身で過ごしたと言われています。
しかし、「土方歳三の子孫」という人が、メディアに出ていることをご存知でしょうか。
浮名を流した京の花街
新撰組は『京都守護職』という位置にいて京の治安を守っているはずでしたが、上品を好む京の人たちには「東から来た乱暴者」と嫌われることも多かったと言います。
時代は幕末期。佐幕派と討幕派が一触即発の状態の中、肩をいからせて京の町を警護して歩いた新撰組の隊士たちも、京の花街、島原ではホッと肩の荷を下ろすこともできたのでしょうか。
歳三もまた例外ではなく、京の女達からモテて困るとばかりに、もらった恋文を故郷に送り付けたりしていました。
手紙に残っているのは、花君太夫、天神の一元、という人物。そしてもう一人の女性、じっさいに新撰組時代の土方歳三の子を産んだとされているのが、京都北野の舞妓「君菊」です。
君菊は歳三に身請けされ、女の子を産みました。しかし残念なことに、君菊の産んだ子どもはわずか一歳たらずで亡くなってしまいます。
歳三の死後、君菊はほかの男性に嫁しますが、若くして亡くなっています。
この話は、歳三の姉のぶの夫彦五郎とその息子(歳三にとっては甥に当たる)俊宣の書いた『聞き書き新撰組』の中に書かれています。
まさかの直系?
テレビで、土方歳三の子孫であると公表したのが、レーサーの番場琢さん、その人です。
本人の公式ブログによりますと、番場琢の生母、番場千名美さんの「曾爺ちゃんがあの有名な新撰組の土方歳三さん」(原文ママ)ということでした。
直系の子孫はいないと言われている土方歳三ですが、謎の解明が急がれます。
番場琢さんはアメリカ人の祖父を持つクオーターです。日本人の母親は琢さんが中学の時に亡くなりますが、父親は現在では再婚しバイオリン製作者として工房を持っているそうです。琢さんの弟もまたラリードライバーとして活躍中だそうです。
現在の土方家
土方歳三の子孫といえば、真っ先に思い浮かぶのは土方歳三資料館の館長、土方愛さんです。
土方愛さんは、歳三の兄弟のご子孫です。
詳しくいうと十人兄弟の末っ子として生まれた歳三の次兄、喜六のひ孫が愛さんの祖父ということになっています。
愛さんは築300年の歳三の生家で育ったそうで、現在では「土方家」を継ぎ、生家跡で「土方歳三資料館」の運営もなさっています。
日本の礎となっていった新撰組を語り継いでいこうと、講演会、著名人との対談、雑誌やマスメディアへの参加等精力的に活動をする傍ら、資料館でも数々のイベント(石田散薬製造体験会というのもある!)や展示、グッズ販売など、さまざまな分野で活躍されています。
カッコよくて、頭の回転もよくて、気の荒い隊士たちにも慕われたという土方歳三。モテないはずがありません。しかし新撰組局長の近藤勇がなくなってからは、いっさい女性とは関係を持たなかったと言われます。
歳三が歴史の表舞台に立つのは、幕末期の内のたった六年。
短くも太く己の生き様を貫いたその生涯は、今もなお私たちを魅了してやむことはありません。