明智光秀と濃姫 2人は従兄弟だった!?

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明智光秀と濃姫(斎藤道三の娘)は、従兄弟だったという説があります。

明智光秀も、濃姫も謎の多い人物と言われていますが、その二人の出生にはどんな謎が隠されているのでしょうか?

迫ってみたいと思います。

明智光秀のプロフィール

明智光秀の出生には諸説あります。これは明智光秀の出生について、確かな記述がないからです。生年は、「明智軍記」によれば1527年、「細川家文書」からは1528年とあります。生まれた場所は、岐阜県可児市明智の明智城が有力とされています。

父は明智光綱と伝えられ(諸説あり)、清和源氏の土岐氏の支流・明智氏の血統で、光秀が幼い頃に急死したため、光秀は幼くして明智城の城主となります。実質的には叔父の光安が補佐をしていたとされています。

光秀は元服すると斎藤道三に仕えていましたが、道三が息子・義龍に討たれると明智氏一族も義龍に明智城を攻められ、一族は散り散りになってしまいます。

明智家再興のため、光秀は主君を朝倉義景→足利義昭と転々と変えて、最終的に織田信長に仕えることになります。

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濃姫のプロフィール

濃姫は、1535年斎藤道三と道三の正室・小見の方の娘として稲葉山城(岐阜城)で生まれました。

その後、1549年に織田信長と政略結婚させられます。

濃姫が織田家に嫁いでからの史料がほとんどないため、早くに亡くなった、斎藤道三死後に離縁した、本能寺の変で信長と一緒に亡くなった、本能寺の変以降も長生きしたなど諸説あります。

この時代の女性は、本名さえわからないほど史料に記載されることがありませんね。

2人が従兄弟といわれる理由

これまで2人のプロフィールを見てきましたが、2人の生涯にははっきりしない部分が多くあります。例えば、明智光秀の父は光綱とされていますが、光秀は養子だったという説もあります。

特に光秀の出生は諸説あるので確かなことはわかりませんが、濃姫の母・小見の方は、光秀の父とされる光綱と兄弟でした。そうすると、光秀と濃姫は従兄弟となる訳です。

光秀は、濃姫の父・道三に仕えていたということですから、その頃から2人は顔見知りだったのかもしれませんね。

本当に2人は従兄弟だったのか?

さて、明智光秀と濃姫の関係は、本当に従兄弟だったのでしょうか?

光秀が明智家一族の一員であったとすれば、濃姫とは少なからず親戚関係ではあったと思います。明智家は、清和源氏の土岐氏の支流で美濃国を214年間も本拠地としてきました。その地を奪い取った斎藤道三は、明智家と婚姻関係を結ぶことによって、自分が美濃国の守護としての正当性をアピールしていたように思われます。

道三は積極的に明智光綱の娘を正室として迎え、血縁関係を結んだのです。

このことから、光秀が明智家の血を継いでいれば、少なからず濃姫と親戚だったと言えるでしょう。

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未來

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縄文時代~江戸時代までが大好きな独身歴女です。
歴史の登場人物に恋し、現代の男性には興味が湧かない変わり者です。
史実に隠れた疑問や歴史のロマンを、皆さんにおもしろく読んで頂ける記事を心がけたいと思います。

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