明智光秀は「金柑頭」というあだ名にキレて、本能寺の変を起こした!?
いきなりですが、自分のあだ名って気に入ってますか?
たいてい、小さい頃に友達につけられることが多いですよね。私は中学生や高校生のときのあだ名をそのまま今も呼ばれています。気に入っているので問題ありませんが。
でも、軽い気持ちでつけたあだ名が、呼ばれる本人にとっては苦痛だったりすることもあるんですよね。それが外見に関することだったりすると、なおさらだったりします。
明智光秀には、金柑頭(きんかんあたま・きんかあたま)というあだ名があったとされています。あだ名大好きな織田信長が付けたものだと伝わっていますが…これは、いったいどういう意味があるあだ名なのでしょうか?
信長が光秀に付けた「金柑頭」というのはどういう意味?
金柑頭の金柑とは、あの果物の金柑のことで、金柑頭というのは、頭の形が金柑に形が似ているためだとされています。
また、別の説ではつるっとしているのが、禿げ頭のようだという意味もあると言われていたり、金柑の金に「光る」というイメージがあることから、転じて禿げ頭という意味であるとも言われています。
こんなあだ名になった理由
江戸時代成立の民間怪談や説話集である「義山後覚(ぎざんこうかく)」や「柏崎物語(かしわざきものがたり)」などによると、とある酒席の最中、光秀がそっと中座しようとしたところ、信長に見つかってしまったそうです。
信長は「この金柑頭!」と光秀を怒鳴りつけ、頭をひっぱたいたというのです。
一説によると、これは信長なりの洒落心によるあだ名だったとも言われています。光秀の「光」の下半分と、「秀」の上半分を合わせると「禿」という字になるためです。
光秀はこのあだ名が実は気に入っていなかった!?
この金柑頭というあだ名ですが、実は光秀自身が気に入っていなかったという話があります。
と言うのも、こうしたあだ名を付けられたことによって、光秀にストレスが鬱積し、本能寺の変という結果につながったという説があるのです。
ただ、現在でも本能寺の変の理由としての確固たる説はなく、多くの説が唱えられているのが現状です。
天下取りの野望があったとか、信長との理想や価値観の違いとか、果ては朝廷や豊臣秀吉や徳川家康黒幕説とか挙げていくときりがないのです。
確かに、信長から受けたストレス(あだ名や大勢の前での叱責など)は大きかったかもしれません。
信長とすれば深い意図が仮になかったとしても、光秀からすればトラウマになっていたことも有り得ると考えられます。
それが外見をからかうようなあだ名であったとすれば、なおさらかもしれません。頭髪に関することは、特にデリケートな問題ですからね…。
まとめ
光秀が、良くも悪くも非常に神経が細やかな人物であったことは、今まで彼の人物像を見てくると感じられました。
だからこそ、細かいことをとても気にしてしまったのかなとも思います。
「金柑頭」を笑い飛ばせるような性格だったら、本能寺の変が起こる確率は、多少は下がったのではないでしょうか。