西郷隆盛が苦しんだ寄生虫による病気とは?
明治維新の豪傑西郷隆盛は、数回島流しの刑になっていますが、その時に寄生虫に感染して病気になっています。
その病気はいったいどのようなものだったのでしょうか。
沖永良部島で寄生虫に感染
1862年閏8月、西郷隆盛は薩摩藩の権力者島津久光に嫌われて沖永良部島に島流しの刑に処せられました。
その流刑先の生活は、吹きさらしの牢獄でのものだったので非常に健康を害したと言われています。
その沖永良部島の風土病である、バンクロフト糸状虫という寄生虫によるフィラリア症に感染したとされ、その後遺症で象皮症になったそうです。
象皮症の症状とは?
象皮病はバンクロフト糸状虫などのフィラリア類が人に寄生することによって起こる後遺症の一つで、陰嚢、上腕、乳房、外陰部、陰茎などの末梢部分の皮膚や皮下組織の結合組織が異常に増殖して硬化し、象の皮膚のような感じになる病気です。
蛋白質がリンパ管からもれて組織内に蓄積されると、組織細胞の変性と線維化が進み、皮膚が次第に固くなっていきます。
フィラリアが直接の原因ではなく、それに起因するリンパ管の破壊とそれによる組織液の滞留(むくみ)による皮膚や皮下組織の異常増殖によって起こります。
そのため、フィラリアが治っていてもこの象皮症は進行することもあるそうです。また乳がんなどの手術によってリンパ管が破壊されたことによってこの象皮症になることもあるそうです。
西郷隆盛はこの象皮症を発症したことによって、陰嚢が人の頭ほどに膨れ上がったといいます。
象皮症になった時の西郷のエピソード
上記の通り、西郷隆盛は象皮症によって陰嚢が肥大したと言われています。そのため自分で馬に乗ることができず、移動手段はもっぱら駕籠(かご/人を乗せて人力で運ぶ乗り物のこと)だったそうです。それも長旅になると股ずれができて難儀したそうです。
また、西郷は西南戦争で政府軍に攻め込まれた時、城山にて自害を決意しました。その際別府晋介という者が西郷を介錯(かいしゃく/切腹する人の首を切り落とすこと。またはそれをする人)をしたのですが、その西郷の切り落とされた頭部は政府軍に見つからないように土中に埋められたそうです。
政府軍は戦争後、頭部のない西郷の死体を見つけ、本人確認をしたのはその腫れ上がった大きな陰嚢で西郷だとしたそうです。
象皮症は現在でも発症するのか?
がん患者に多いリンパ浮腫(いわゆるむくみ)が進行すると象皮症となります。リンパ浮腫は乳がんや子宮ががんの手術後に発症することが多いそうです。
リンパ浮腫の診断自体は難しいものではないそうですが、難治性であり、現在でも予防や完治法はないそうです。しかし日本を中心にリンパ管静脈吻合術というリンパ浮腫に効果的だとされている手術法が広まってきているそうです。
西郷隆盛がなったとされているリンパ性フィラリア症は現在でも72か国13億人以上の人にリスクがあると言われています。その感染者の65%が東南アジア地域、30%がアフリカ地域に住んでいます。罹患率は貧困と関連し、国連はこのフィラリア症の根絶を目指しています。
以上のようなことから象皮症は現在でも起こり得る病気ですが、予防や進行を抑える方法が確立されつつある病気です。