本多忠勝が戦国時代最強の武将といわれるのは何故!?

Sponsored Links

豊臣秀吉に「東に本多忠勝という天下無双の大将がいるように、西には立花宗茂という天下無双の大将がいる」と言わしめる東には本多忠勝、西には立花宗茂という優秀な武将がいました。

しかし、現代では戦国時代最強の武将というと、本多忠勝という声が多く聞かれます。

本多忠勝が何故、後世そういう評価を得たのかを見ていきましょう。

本多忠勝が、戦国最強と言われる由縁

初陣から戦果を挙げた

1560年本多忠勝は、今川義元が織田信長に討ち取られた事で有名な桶狭間の戦いの前哨戦となる大高城の戦いで初陣を迎えます。

その際に一緒に戦った叔父・忠真は忠勝に初首を挙げさせようと敵兵を抑え、忠勝に首を取るように言ったとされています。

しかし、忠勝は「なぜ私は人の力を借りて、武功を挙げなければならないのか。」と言って自ら敵陣へ向かい、敵の首を挙げました。

初陣当時14歳だった忠勝ですが、初陣にも関わらず、大変な勇気を持った侍だったという事がよく分かりますね。

武勇に優れるだけではない

忠勝といえば、ゲームの影響もあってか戦場の最前線へ赴き、愛槍「蜻蛉切」を操り、多くの敵将の首を取るといった活躍をイメージされる方が多いかもしれません。

しかし、軍の指揮を取らせても名采配をしたとされています。

徳川家康の人生で危機の1つとされている三方ヶ原の戦いでは徳川軍は敗れたものの、忠勝は武田四天王の山県昌景の撃退し、夜襲で武田軍を大混乱に陥れ、敗れたにもかかわらず、本多忠勝という武将は敵ながら恐ろしいと評されました。

Sponsored Links

忠勝は無敵!?

初陣から勇ましく、敗れても的に評される武将であった忠勝ですが、こんな無敵?とも思われるエピソードも残っています。

まず、忠勝は生涯で57回の合戦に参加し、多くの戦いにおいて最前線で戦っていたにも関わらず、かすり傷一つ負わなかったと伝えられています。

これは忠勝の側近の頑張りもあったと思われますが、こんなエピソードが伝えられているところからもすごい武将であったことが伺えます。

そして、小牧・長久手の戦いでは主君の家康が16万の豊臣軍の前に苦戦をしていると聞き、忠勝はわずか500名の兵で豊臣の大軍の前に立ちはだかったと言われています。

三国志でも長坂の戦いにおいて、張飛が殿を務めたという話がありますが、それに勝るとも劣らない勇猛さですよね。

忠勝の最後

そんな忠勝は、酒井忠次・榊原康政・井伊直政と一緒に徳川四天王と讃えられ、江戸幕府樹立への立役者として多くの武功を残しました。

しかし、老いには勝てず1610年63歳でこの世を去ります。そんな晩年の亡くなる数日前にはこんなエピソードが残っています。

ある日、忠勝は小刀で自分の持ち物に名前を彫っていたが、その際に手元が狂って左手にかすり傷を負ってしまいます。

この時に「本多忠勝も傷を負ったら終わりだな。」と呟いたところ、その数日後に亡くなったとされています。

忠勝と並ぶ西の天下無双・立花宗茂

本多忠勝と並び賞されたもう1人の武将立花宗茂は、大友氏の重臣・吉弘鎮理(のちの高橋紹運)の長男として生まれ、その人柄や実力によって、唯一関ヶ原の際に改易された武将ながら、旧領に復帰をした人物です。

宗茂は秀吉の九州平定や朝鮮出兵の際に活躍をし、中でも『東の本多忠勝、西の立花宗茂、東西無双』と小田原城攻めの際に諸大名の前で秀吉に評価されています。

生まれた時代や立場は異なりましたが、天下人の秀吉から戦国時代を代表する武将として、本多忠勝と並び称された人物です。

まとめ

戦国最強の武将というと、何を根拠にするかで見方が変わってきます。その時代の英雄たちの見解も異なります。しかし、その時代の覇者たちから、皆一様に一目置かれる武将というのは、最強の武将と言ってよいのではないかと思います。

そういう意味で織田信長からは、「花も実も兼ね備えた武将である」、豊臣秀吉からは、「日本第一、古今独歩の勇士」と賞賛されたということは、本多忠勝が戦国最強と言えるのではないでしょうか。

その忠勝に推挙されて、改易後宗茂は幕府に仕えることになり、その後大名に復帰できました。お互い一目置く存在だったのでしょうね。

Sponsored Links

真田丸 関連商品


この記事が気に入ったら
いいねで歴史の小ネタを毎日お届け!

ひすとりびあの最新情報をお届けします

Twitterでひすとりびあをフォローしよう!

こんな記事も読まれています

未來

未來

投稿者プロフィール

縄文時代~江戸時代までが大好きな独身歴女です。
歴史の登場人物に恋し、現代の男性には興味が湧かない変わり者です。
史実に隠れた疑問や歴史のロマンを、皆さんにおもしろく読んで頂ける記事を心がけたいと思います。

この著者の最新の記事

人名・事柄名

ページ上部へ戻る