井上馨は料理好きだったが凄まじい物を作って振舞っていた!?
明治維新後は情報収集力と財政面での能力を買われ、外務大臣、農商務大臣、大蔵大臣などを歴任した井上馨。
鹿鳴館の建設に尽力したことで有名な彼は、「妥協を許さず主張を押し通す」「短気で雷親父と呼ばれる」などキツイ人柄や賄賂疑惑もありますが、意外にも料理がとても好きで人にふるまっていたそうです。
無類の料理好きでとことんこだわりぬく
妥協を許さず食材を集め、たとえ遠いところのものでも手に入れて料理に使ったという井上馨。
そして、欲しいと思った食材は確実に手に入れ、そしてそれをどう調理すればおいしくなるかという研究に明け暮れたそうです。
味噌汁に鮴(ごり)という魚を入れたり、お吸い物に蘭の花を入れたりと、他の人と違ったものを求めて創意工夫していたそうです。
現代で言うところの、創作料理家といった感じだったのでしょうか。
料理を始めたきっかけ
明治の世では「男子厨房に入るべからず」を地でいくほど、男の人が料理をするのは料理人以外では珍しかったと思います。
しかし、井上は明治元年、九州鎮守総督府の参謀として長崎に赴く際、京都の料亭の料理人を伴っていき、その料理人から料理を伝授されたことがきっかけで料理の世界に目覚めたとされています。
得意料理
らっきょ酢や甘酒を混ぜてスープにしたものが自慢の一品だったとされていますが、現代の視点から見てもとても個性的ですね。
真似をして作ったというレシピがクックパッドで紹介されていますので、気になる!という方は試してみてはいかがでしょうか。
このようにかなり個性的な井上の料理ですが、たくあんだけはとても「一般人にも」おいしかったそうで、皇太子(後の大正天皇)や親友の伊藤博文にも絶賛されていたそうです。

By: Masahiko OHKUBO
井上料理を食べた者の感想
個性的過ぎる「井上料理」には周りの者たちはほとほと困っていたようでこんな記録が残っています。
「花外楼物語」には「そのぜいたくぶりは天下一品でありましたが、その反面、世間から井上料理を恐れられたくらいで、そのズバ抜けた下手趣味に徹している、これまた風変わりな点においてはまことに徹底したものでした」と書かれています。それほどまでに「井上料理」は個性的なものだったのでしょう。
「手料理を振舞ってやろう」とばかりに、当時の大坂の財界の名士を招待したそうです。そのメンバーは藤田組の創始者の藤田伝次郎や、西園寺公望の弟で住友グループの住友吉左エ門、大阪ガス社長・日銀大阪支店長などを務めた片岡直輝など、大坂財界の核となる人たちばかり。
そんな人たちに「得意の長州料理」といって、さきほどの「らっきょ酢に甘酒をまぜたスープ」などをふるまったそうです。あまりのまずさに感想を求められた者は動揺をしながら「たいへんけっこうなお味で…」といいながら、蓋で隠して食べたふりをしていたそうです。
大正天皇も井上の料理をゲテ趣味と恐れていたそうです。
しかし、井上はこの人から恐れられる自分の料理をとても美味しいと思っていたそうです。まぁ自分が美味しいと思わなかったら皇太子にまで出せないですよね。すごい味覚を持った人ですね。さながらジャイアンのようです…。