徳川家康がキリスト教を弾圧し鎖国をした理由は豊臣秀頼が関係していた!?

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徳川家康はキリスト教を厳しく弾圧し、鎖国令を敷いた事で知られています。

その弾圧は島原の乱をはじめ沢山の悲劇も生み出しました。

しかし、彼は最初からキリスト教を弾圧していたわけではなかったようです。

では何故、日本は鎖国をしたのか、鎖国化でのキリスト教がどのような物だったかを見ていきましょう。

最初はキリスト教に寛容だった家康

豊臣秀吉亡き後政権を握った徳川家康は、初期の頃は宣教師の活動を黙認していました。

それは、キリスト教の普及よりもポルトガルやスペインと交易する利点の方が優っており、貿易上の理由が強いものでした。

その為、以前から活動していたイエズス会以外にもフランシスコ会、ドミニコ会、アウグスティノ会などカトリックの各派の宣教師が来日するようになります。

しかし、家康のキリスト教への姿勢はあくまで黙認であり、彼には秀吉存命中に発布された禁教令を取り消すことも、キリスト教を受け入れる意向もありませんでした。

慶長13年(1609年)長崎でマードレ・デ・デウス号事件が起こります。これはキリシタン大名として知られる有馬晴信とポルトガル人との争いで、ここから家康はキリシタン弾圧に傾斜していきます。

キリシタンとの関係で家康を心配させたのは宣教師やキリスト教の広がりそのものよりも豊臣秀頼が大のキリシタン贔屓だった事です。

彼にとって一番の危惧は、秀頼が家康との戦いに際してスペインの支援を受ける事でした。当時のスペインの軍事力を味方に付けられては家康に到底勝目はありません。

それを証明するように慶長18年(1614年)家康は大阪攻めに先立つタイミングでキリシタン禁令と宣教師の国外追放令を発布しました。ここから幕末まで続く長いキリスト教迫害の時代が続きます。

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キリスト教弾圧は様々な悲劇を生み出した

徳川家康のキリスト教迫害によって各地の宣教師、高山右近などの有力なキリシタン大名や修道女たちは長崎へ送られ、その内400名あまりはマニラ、マカオへと追放されました。

1614年以降になると、全国各地で潜伏キリシタンの摘発、拷問、死刑が続き、キリシタンであれば幼児であっても処刑されたといいます。

1634年頃にはキリシタン排除は決定的になり、鎖国令が敷かれます。これによって日本はペリーの来航に至るまで、長崎の出島でのごく限られた外交だけを続ける事になります。

鎖国、そしてキリシタンの厳しい取り締まりの中でもキリシタン達はひっそりと自分たちの信仰を持ち続けました。

踏み絵を利用した摘発や厳しい監視体制をくぐり抜け、こっそりと集会を開いたり、マリア像を観音像に見立てたり。

しかし、信仰を持つ事は命との引換となる事もありました。有名なのは島原・天草の乱でしょう。天草四郎時貞が率いたといわれるこの反乱では2万7千人が殉教したとされています。

オランダだけが交易を許された理由

鎖国令を敷いた日本ではスペインやポルトガルといった諸外国との国交はすっかり絶たれてしまいました。

しかし、例外的に許された国があります。それはオランダです。

何故、オランダだけが国交を許されたのでしょう。それはオランダが幕府との間にキリスト教を布教しないと約束したからなのです。

そもそもスペインやポルトガルがどうして熱心に布教に努めなくてはならなかったかと言うと彼らの宗派がカトリックだったからです。

当時のヨーロッパでは宗教改革の嵐が吹き荒れ、カトリックは新興勢力のプロテスタントにすっかり押されてしまっていました。

日本ではそうは見られなかったでしょうが、一度ヨーロッパに戻れば彼らは苦しい立場だったのです。

だからこそ、宣教師達はヨーロッパ以外の土地へと自分達の教義を広げようと世界を飛び回っていました。

対して、オランダはプロテスタントであり、幕府が嫌がるなら布教はできなくても構わないと言った余裕を見せる位のスタンスでした。

その為に、徳川幕府もオランダとの国交を許したのです。
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キリスト教弾圧がもたらした物

家康にとっての脅威であったキリスト教。その一番の理由はキリスト教国のスペインが豊臣氏に味方して外国を巻き込んだ戦争になってしまう事だったのでしょう。

確かに鎖国とキリスト教の弾圧によって、日本はメキシコやフィリピンのように外国の支配を受ける事はありませんでした。

しかし、殉教した沢山の人々の事を考えるとなんとも言えない気持ちになりますね。

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投稿者プロフィール

歴史が好き!!の勢いで突っ走る歴史オタクのライターです。
その時代に生きた人々の文化や偉人達の人間味あふれるエピソードに興味津々。鎌倉や京都、全国の史跡を訪ねつつ温泉や美味しい物を楽しむのが何よりの幸せです。
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