名刀LOVE!越後の軍神・上杉謙信が愛した宝刀6選
戦国武将に刀コレクターは多いですが、上杉謙信もそのひとりです。
というより、刀愛好者だった戦国武将の話をするなら上杉謙信を抜きにしては語れないという位、刀の鑑定眼に定評のある人なんです。
養子で後継者の上杉景勝も刀剣鑑定を好んだ人で、景勝は『上杉家御手選三十五腰』と題した上杉家所蔵の名刀の中でもトップクラスの、35の名刀に関するリストを残しています。
その中には謙信公の佩刀だったものが28あるそうです。越後の軍神とまで呼ばれた武将が選び抜いて愛用した刀とは、いったいどんなものだったんでしょう?
きっと皆様も興味がおありですよね?そこで今日は、上杉謙信が愛した名刀から六振りをピックアップしてご紹介したいと思います。
上杉謙信の愛刀1:姫鶴一文字(ひめつるいちもんじ)
明治天皇の目を釘付けにした美しい日本刀
上杉謙信の愛刀として一番有名な刀は、多分この『姫鶴一文字』でしょう。国の重要文化財に指定されています。
現物は米沢市の上杉博物館に収蔵されていますので、展示があれば現在の我々も目にすることができます。
銘があり『一』、号を『姫鶴一文字』といい、2尺3寸6分、刃長約71.5cm、反り2cm程の太刀です。備前一文字刀工の福岡一文字派の作で、鎌倉時代後期に作られた刀と鑑定されています。鍔のない、合口拵というつくりになっている刀で、この形は上杉謙信の好んだものと伝わります。
明治14年に明治天皇が米沢を巡幸された際、この姫鶴一文字をご覧になって大変お気に入られ、押形(刀剣の拓本)をご所望になられたというエピソードもある名刀です。
姫鶴の名がついたのは、刃文の状態が鶴の羽に似ているからではないかと言われますが、それについては次のような伝承も残っています。
謙信公がこの太刀は少し長すぎると思って磨上げ(すりあげ、刀の刀身を短くすること)を刀鍛冶に依頼した。するとその刀鍛冶の夢に鶴姫と名乗る美女が現れて、この刀の磨上げを思い止まるように懇願したという。それで磨上げは取り止めとなった。
上杉謙信の愛刀2:謙信景光(けんしんかねみつ)
姫鶴一文字と共に帯刀され、謙信公が常に手元に置いた短刀
『謙信景光』は、国宝に指定されている短刀です。埼玉県立歴史と民俗の博物館が所蔵しており、2016年5月現在常設展示はされていませんが、特別展で過去に何度か公開されたことがあります。
銘は表が『備州長船景光』、裏に『元亨三年三月日』(元亨3年=1323年)とあります。上杉謙信が手元に置いた愛刀として有名なため、号を『謙信景光』と呼ばれる短刀です。
長さ九寸三分五厘、刃長は約28.3cm、わずかに反りがあります。また、刀身に”秩父大菩薩”と彫り込まれ、裏には”大威徳明王”を表す梵字が彫られています。刃文は美しい片落ち互の目です。
上杉謙信の愛刀3:山鳥毛一文字(やまとりげいちもんじ、さんちょうもういちもんじ)
元は関東管領上杉家の家宝だった刀
こちらも国宝に指定されている太刀です。現在は個人の所蔵物ですが、岡山県立博物館に寄託されている関係で、一般公開されることもあります。(※2016年5月29日まで公開中)
二尺七寸を超える無銘の太刀で、号は『山鳥毛』。刃長は80.9cm、反り約3.2cm、これも合口拵です。号は刃文がまるで山鳥の尾毛を並べたような細かい乱れ模様になっているため、このように呼ばれているのではないかと言われます。
元は関東管領上杉家の宝刀で弘治2年(1556年)、上杉謙信が長尾景虎と名乗っていた頃に白井城主長尾憲景から贈られました。
上杉謙信の愛刀4:五虎退吉光(ごこたいよしみつ)
正親町天皇から贈られた鎌倉期の名刀
『五虎退』は鎌倉時代の有名な刀工、粟田口藤四郎吉光作の短刀です。上杉家所蔵の刀ですが、米沢市上杉博物館で現在でもたびたび展示されています。
長さ25.2cm。長尾景虎時代の永禄2年(1559年)、足利13代将軍義輝に請われて上洛した際に正親町天皇から拝領した短刀です。
足利義満が明に派遣した使者が、明の荒野で5頭の虎に襲われた時にこの刀で追い払ったという逸話があります。
上杉謙信の愛刀5:竹俣兼光(たけのまたかねみつ)
またの名を『鉄砲切り兼光』とも呼ばれた?
『竹俣兼光』は逸話がたくさんあるにもかかわらず、不明な点も多い太刀です。
備前長船兼光の作で謙信が竹俣三河守慶綱から召し上げたものと言われ、謙信がこの刀で火縄銃の銃身を断ち切ったとも伝わり『一両筒』または『鉄砲切り兼光』とも呼ばれます。
また、2度も雷神を切ったという伝承もあって、『雷切』の異名を持つ刀です。ただ、記録は多く残っていますが現存が確認されていないため、その詳細な姿は判っていません。
『上杉家御手選三十五腰』の中に含まれているので、少なくとも上杉景勝の時代までは存在が確認されていたと考えられます。
上杉謙信の愛刀6:典厩割国宗(てんきゅうわりくにむね)
第4次川中島合戦で使われたと伝わる
『典厩割国宗』は京都の井伊美術館に所蔵されていますので、こちらも見学のチャンスがあります。
第4次川中島の戦いの際に、武田信玄の次弟、武田左馬助信繁(典厩殿と呼ばれた)を斬ったと伝わる太刀です。
上杉謙信から、親交のあった佐竹義重に贈られ、それ以来佐竹家の家宝として扱われていました。
まとめ-上杉謙信と刀
皆様いかがでしたか?謙信公所蔵の刀に、色々思いを馳せて頂けましたでしょうか。
それぞれ強そうで、やっぱり英雄の使う刀は違うのかな?と感じました。今に伝えられている物は人気が高く、どれもたびたび展示があるようです。
謙信公ファンの方は是非一度ご覧になってみてください。