上杉謙信の死因は普段の食生活が原因だった!?
今でこそ、病院に行けばほぼちゃんとした診断が付きますから、死因が不詳であるとか推定であるとかいったことはあまりありませんよね。
しかし、昔はそうはいきません。突然倒れて亡くなってしまったりしたら、周りは大騒ぎですね。いったい何事か!?となるわけです。特に、それが前日まで元気だったという場合なんて大変です。
その典型的な例が、上杉謙信です。
彼は長患いしていたという話もなく、突然亡くなってしまったので、彼の死因については様々な推測がされています。
では、死因として濃厚なものは何なのでしょう。
驚愕の説もあるようですので、一緒に見ていくことにしましょう。
上杉謙信の最期の記録
上杉謙信は、1578年(天正6年)に49歳で亡くなりました。
それはまだ寒い3月9日のことで、まだ雪も降っていたそうです。
厠へ用足しに立った謙信は、そこで卒倒します。
そのまま昏睡状態に陥り、結局意識を回復することなく、3月13日に息を引き取りました。
死因諸説
死因として、今も昔も有力とされている説は、脳出血です。
まず、彼の食生活から見てみると、彼は大の酒好きであり、酒の肴には味噌や梅干しを食べ、干物も好きでした。
これだけを見ても、塩分過多であり、飲酒量も相当であったはずで、必然的に高血圧になりますよね。
脳出血は高血圧由来の場合が多いので、これは十分に考えられるファクターです。
また、41歳の時に彼は軽い脳血管障害になったという記録があります。「中風」というのがそれです。ですので、脳出血で死ぬ前に既に前兆があったと考えてもよいのではないでしょうか。
そして、春日山城という場所も脳出血を引き起こす原因になっています。
上越の地で時期は3月、雪が降っていては相当寒かったことでしょう。ましてや厠の寒さは、居間よりももっと寒かったはずです。寒い場所に行けば血管が収縮し、血圧が上昇します。そして厠ですから、力んだと考えても良いでしょう。
今でも、冬場に脱衣所で脳出血などを起こして倒れてしまう高齢者が多く、注意喚起されていますが、謙信の場合はまさにそれに当てはまったと考えられますね。
他に伝わる死因
脳出血説が濃厚とはいえ、他の死因も唱えられています。
まず、脳出血にくわえて、胃癌か食道癌を併発していたのではとも言われています。
また、織田信長からの刺客が厠に隠れていて、刺殺されたとか、ヒ素によって毒殺されたとかいう話もあります。
そして、脳出血の次に死因として唱えられることが多いのが、「婦人病」なのです。
どういうこと!?とお思いかもしれませんが、これは、「謙信女性説」と関連する話です。
姫路藩主:松平忠明(まつだいらただあきら)編纂とも言われる「当代記」に、謙信が「大虫」で亡くなったという記述があるのです。
大虫とは月経の隠語であるとされており、この事から考えるとなると謙信は女性であったということになるわけです。
まとめ
やはり、生活習慣を見つめ直すことが大事だとしみじみ考えさせられた次第です。
塩分とアルコール好きでは、今だったら絶対お医者さんに怒られてしまいますよ。冬場は、トイレにも暖房を入れた方がいいかもしれません…。
とはいえ、死因から謙信女性説に辿り着くなんて、謙信が本当に女性だったのかどうか気になるところですね。