「敵に塩を送る」という言葉があります。
これは上杉謙信が武田信玄に塩を送って甲斐を助けたことから、敵を助けるという意味でこの言葉が生まれたとされています。
謙信は実際に塩を送ったのでしょうか?
塩を送った?
1567年、武田信玄は13年間にも及んだ今川氏との同盟を一方的に破棄しました。そこで駿河の今川氏真は相模の北条氏康と相談し、甲斐の武田信玄に塩を送るのをやめてしまった。
甲斐は山国で海がないため、塩を精製できない。塩は生き物にとって不可欠であるため、それまでは駿河と相模から塩を買っていたのだが、それを中止されたのは一大事だ。
しかし、それを知った上杉謙信は「塩の流通を止めるとは卑怯な行いだ」と怒り、3000俵もの塩をすぐさま信玄へと送った。
このことから、敵を助けることを「敵に塩を送る」というようになった。
さて、この話は事実なのでしょうか?
「送った」わけではない
上記の話は、信憑性の高い資料には記載されていません。ですが、謙信が今川氏に同調して「塩止め」を行ったという記録はありませんので、越後は甲斐に塩の流通を続けたということでしょうね。
「越後は塩の流通を止めなかった」ので「甲斐は越後の塩に助けられた」となって「謙信が信玄に塩を送った」というエピソードになったのでないかと推察されます。後に作られた美談であって、実際には商売の観点から塩の流通を止めなかっただけだとも言われるのですが…。
謙信は正義感の強い人物として知られますから、あたかも「謙信が」助けたかのように語られたのでしょう。因みに信玄が塩を送ってもらったことに感謝し、福岡一文字の在銘太刀である「弘口」を一振り贈ったとされ、これは重要文化財に指定されています。この太刀は通称「塩留めの太刀」と言います。お礼に太刀を送るほどですが、この贈り物は「塩止めをしないでくれて感謝する」、と言うことでしょうか。「塩を送ってくれてありがとう」ではないようです。
塩
今でこそ当たり前のように塩がありますが、昔はそうではありませんでした。塩というのは人間が生きて行く上で欠かせないものです。ミネラル不足で神経が侵されるなどもありますし、最近では猛暑の際に水分のみを摂取しているとミネラル不足に陥るので気を付けるようにも言われますね。食糧を保存するために塩漬けをするためにも、塩は必要です。殺菌作用もありますね。
昔の日本では沿岸部に塩田を開き、そこで塩を精製していました。大陸などでは内陸部にも岩塩が多くありましたので、沿岸地域でなくともそう困りはしなかったと推測できますが、日本では岩塩はほとんど存在していませんので、海に面していない国では塩がないのは大問題でした。
塩の道
日本において、塩が自国で生産出来ない国というのは当然ありました。その国の問題とは何でしょう?
塩は人間の生命維持に欠かせないものですから「塩がない」ということ自体考えにくいのですが。
いつのころからか明確ではありませんが、山国では塩の産地より塩を運んでもらうための「塩の道」というルートが存在しています。
ただ、塩をもらうのですから塩を精製する沿岸部には山の生産品を送ります。こうした物々交換が当たり前のように存在していました。
ですので、塩のない国の問題は少し考えづらいのですが。強いて言うなら「塩の流通がなくなると、すぐに生命維持に弊害が出る」ことでしょうか。
自分たちで生産できませんから、外部に頼って生命維持を保証してもらうのは微妙でしょうが、それが当たり前なのですから特に不便ではなかったかも知れません。
信玄と謙信
この2人はライバルとして知られ、また信玄の死の知らせを受けた際に謙信は「宿敵がいなくなってしまった」と泣いて悲しんだ…との逸話もあります。
このようなことから、2人の関係が少々美化され「敵に塩を送る」というエピソードが生まれたのかと思います。
実際の思惑はどうであれ、2人の関係が少しは影響していると信じたいですね。