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本当に美形? 新撰組沖田総司の写真とは!?

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新撰組の一番隊組長、剣を取っては天下無敵で、血風吹き荒れる幕末の京都を駆け抜け、25歳の若さで結核に倒れた沖田総司…

いかにも、少女漫画受けしそうな彼ですが、実は写真は一枚も残っていません。

沖田総司は本当に映画やドラマのような美剣士だったのでしょうか。

本当はヒラメ顔?総司の近親者の証言

写真が現存し、顔が判明している土方歳三や近藤勇と異なり沖田総司は本人と確認される写真は一枚も残っていません。しかし、新撰組が屯所を置いていた八木家の人々や新撰組と関係があった人々の証言によれば、このような容姿が分かります。

「沖田総司はヒラメ顔で、笑うと愛嬌があり色黒で猫背、長身」

このヒラメ顔というのが衝撃的で、これを根拠に、総司は美青年ではないとする反美青年論が生まれて多く流布したと言われています。

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ヒラメ顔は嘘?口が滑っただけという説

総司がヒラメ顔というのは、新撰組の後援者であった佐藤彦五郎の曾孫に当たる人物がテレビで話を面白くする為に口走っただけで、実際には、両目の間が寄っていた程度、のっぺらぼうでは無かったそうです。

しもぶくれの沖田総司の肖像画は誰なのか?

沖田総司美青年説の人々にとって悪夢?なのは、色白しもぶくれの沖田総司の肖像画ですが、あれも本人をモデルに書いたものではありません。

昭和4年に存命だった沖田総司の長姉、みつが、孫の要(かなめ)を「どことなく総司に似ている」と評した事から要をモデルに書かれたものです。なので、美青年説の人は安心していいものと思われます。

実は沖田総司の写真は存在するという説

写真は伝わっていないとされる沖田総司ですが、姉みつの証言によると、次姉きんの文机の引き出しには、総司の写真が入っていたそうです。しかし、それを聴いた新撰組関係者が、急いで、きんの文机を調べた所、そのような写真は出て来なかったそうです。

一説では、きんの家が建て替えられた時に、粗大ごみとして燃やされたとも言われています。もし、そうならば勿体ない話ですね。

結論、沖田総司は美青年だったのか?

このように、写真が残っていない以上は、沖田の容貌を断定する事は出来ません。しかし、沖田は剣を握らない時は、冗談ばかり言って周囲を笑わせる明るい人柄、それに、とても子供好きで、忙しい勤務の合間を見ては屯所周辺の子供達と遊んでいたという無邪気な性格でした。

新撰組を酷評した尊王攘夷派の西村兼文も、沖田に関しては酷評をしていません。

なので、沖田は本当に敵対している勢力以外には、とても人当たりが良い人物だったと考えられるのです。沖田が仮に美青年でも陰気で残酷な性格だったなら、ここまで名前が残る事も無く小説の主人公にもならなかったでしょう。

沖田総司は、イケメンでないとしてもナイスガイだったのは確実だと思います。

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