第六天魔王は織田信長の自称だった!? あだ名に込められたブラックユーモア
戦国時代の覇者織田信長。
彼を第六天魔王と呼ぶのは一度は聞いた事があるのではないでしょうか。
魔王なんてなんともインパクトのあるあだ名ですが、一体彼はなぜそう呼ばれるようになったのでしょう。
その経緯には若い頃から変わることのない、信長のある一面が見られます。
今回はそれを紹介していきます。
第六天魔王とは
仏教の世界観では 三界といってこの世を大きく三つに分けます。
無色界はあらゆる欲も色もない清らかなな精神だけの世界であり、色界は欲はないけれども色(物質 肉体)のある世界、そして欲界は欲望だらけの世界と言われています。
欲界は地獄界や私達の住む人間界、つまり現世で、欲天と呼ばれる天界の下層部の六層も含まれています。この欲天の最上天が他化自在天こと第六天で、その他化自在天つまり欲界のトップに君臨しているのが「第六天魔王」と呼ばれる存在です。
他化自在天は大自在天とも呼ばれ、そのルーツを遡るとインドのヒンドゥー教の最高神の一柱、シヴァ神だと言われています。
シヴァ神は様々な姿を変える事ができ、いくつもの化身を持つ神で、仏教に取り入れられてからは他化自在天と称されるようになりました。
修行者を色や欲で惑わして修行を妨げ、天魔、天魔波旬とも称される他化自在天は仏門を志す者にとって退けなければならない恐ろしい存在で、その為に魔王と呼ばれます。
武田信玄への返書に書かれた第六天魔王信長の意味
仏道では畏怖される第六天魔王ですが、どうして織田信長は第六天魔王と呼ばれるようになったのでしょうか。
実は、第六天魔王というのは彼の自称なのです。
1571年の比叡山焼き討ち事件の後、なんとか生き残った僧侶達は織田信長の対抗勢力であった甲斐の武田信玄に助けを求めます。
武田信玄は織田信長の仏をも恐れぬ仕打ちに怒り、信長に対して書状を送ります。
その内容はもちろん比叡山焼き討ちに対しての抗議で、武田信玄はこれを天台座主沙門信玄という署名で送っています。
この署名には、天台宗の最高位、座主の代理である武田信玄よりという意味が込められています。
その返事に書かれていた織田信長の署名が第六天魔王信長でした。
信玄が仏教の最高権力者の代理ならこちらは仏教最強の敵だと名乗った訳です。名のある武将のやり取りとしては随分と子供っぽいような印象です。
どうやら織田信長はそういった肩書きをネタに茶化してみせるのが好きなようで、桶狭間の戦の後、今川義元が大事にしていた宗三左文字という刀に上総守信長と彫り込んで愛用したという逸話があります。
今川義元の官位は上総介だったので、上総守を討ち取った自分が上総守だという理屈でしょうか。
実際には信長は上総介には就任していませんからこれは完全に自称です。
元々うつけ・傾奇者と呼ばれたような信長です。年を取ってもどうにも権威とかそういった物に対しては、それが有難がられれば有り難られる程茶化してやりたくなってしまうような反骨心溢れる一面があったのでしょうか。
手紙の向こうで歯ぎしりする信玄の顔を思い浮かべでもしながらさぞ面白げに署名する信長の姿が目に浮かぶようです。
署名に込められた信長の機知
織田信長と武田信玄、おそらくは二人とも読んでいたであろう軍記物語「太平記」に気になる記述があります。
神話の時代、天照太神と第六天魔王の間に契約が結ばれ、天照太神が仏法僧の三宝に近づかない代わりに、第六天魔王は天照大御神の子孫である天皇を守る。
もし、国を乱す者が現れたら第六天魔王の一族が懲らしめてやろうと誓ったというものです。
当時の比叡山は規律が乱れ、天皇家すら手を拱いているような存在でしたから、自分はそれを成敗しただけだと自分を正当化しているようにも見えます。
いずれにしても署名でそれを表してみせるのですから、織田信長はウィットに富んだ人物だったのではないでしょうか。