豊臣秀吉が行った朝鮮出兵の際に日本からキムチが伝わったってホント!?
日本のスーパーでも売られており、すっかり韓国の漬物ですが、日本でもよく食べられているキムチ。
しかし、そのキムチと豊臣秀吉が関連しているという話があります。
豊臣秀吉が行った朝鮮出兵の際に日本から唐辛子やキムチを持ち込んだという話についてみていきましょう。
キムチの歴史
キムチの歴史は約4,000年前から始まったとされます。
中国最古の詩篇である『詩経』に漬物の記述が見られます。
当時の中国の漬物は、酢漬けと塩漬けの物のみでした。この塩漬けの漬物が百済へわたり、極寒期の保存食として作られるようになりました。
また、高麗の時代になると、詩文集『東国李相国集』にキムチを意味する「沈菜(チムチェ)」の記述が見られます。
この沈菜は塩漬けした野菜に、ニンニクやショウガを入れて漬けたものです。
現在のキムチとは全然違いますね。
唐辛子の伝来
元々、唐辛子は南米原産で、アジアには無かった物でした。
15世紀の南蛮貿易でポルトガルから日本に伝来しました。
「唐」という漢字が使われていますが、これは中国の唐を表すのではなく、漠然と「外国」を意味する語とされます。
伝来当初は食用ではなく、観賞用や毒薬などとして使われました。
そして、日本から朝鮮へ伝わります。
ルートは日本との交易でもたらされたもの、秀吉の朝鮮出兵の際に持ち込まれたものなど諸説あります。
朝鮮出兵の際に持ち込まれたという説において、その理由は目つぶしや毒薬としての武器に使え、凍傷予防薬としても使えるからだとされています。
キムチは日本由来の食べ物だった?
イギリス人の東洋史学者であるホールデン教授は「キムチのルーツは日本だとわかった」とこの様に述べています。
唐辛子は15世紀にポルトガルから南蛮貿易で長崎にもたらされ、その後九州で栽培に成功し薬剤として普及。
唐辛子と白菜を漬け込んだ食品が、九州の漁師たちの保存食として用いられるようになり、脚気の防止に役立った。16世紀になると豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、日本水軍の九州兵が保存食・滋養食として携行し、日本水軍の食するこの元祖キムチが朝鮮兵と朝鮮民衆に伝わり、戦闘食として朝鮮軍にも食されるようになった。
豊臣政権下には白菜はなかった
元祖キムチは先述の通り古代中国において存在していました。
そして、今日見られる白菜が品種改良の結果現れたのが16~18世紀においての中国であり、日本に伝来したのは明治以降(20世紀)です。
ですので、豊臣政権下の16世紀の日本で白菜は食べられていません。
この事から、このホールデン教授のいう「唐辛子と白菜を漬け込んだ食品が九州で保存食とされた」というのは誤りだと考えられます。
しかし、現在のキムチにかかせない唐辛子が日本から朝鮮半島にもたらされたという点においては、現在のキムチの起源の一端を日本が担っているとは言えるのではないでしょうか。
現在のようなキムチはいつできた?
秀吉の朝鮮出兵においてもたらされたといわれる唐辛子。
しかし、すぐに食用として使われたわけではありません。
唐辛子入りのキムチの記述が見られるのは、それから100年以上経った1715年に書かれた農書『増補山林経済』においてです。
そして、現在の加工法に近いものが登場したのは、1827年の『林園十六志』で、「薀菜」という記述が見られます。
この頃はまだ唐辛子は糸状に切った物を使用する程度でしたが、20世紀に入ると、人々が辛い物を好むようになり、唐辛子は粉にされて使われることが多くなりました。
現在ではキムチは世界中でその名が浸透するほどポピュラーな食べ物になっています。