戦国一の愛猫家!? 島津義弘は朝鮮出兵に猫を連れて行ったらしい!?
関ヶ原の戦いの島津の退き口で有名な島津義弘ですが、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に猫を連れていったと言われています。
しかし、乗ることが出来る馬や軍用犬のように使えそうな犬ではなく、何故猫を連れていったのでしょうか。
猫を連れていった理由
島津義弘は慶長の役の1つの戦いである泗川の戦いに、7匹の猫を連れていったというエピソードがあります。
猫を連れて行った理由として、正確な時を知るためだとされています。
当時は、猫の瞳孔の開き具合によって時を知ることができると考えられていました。
島津義弘は7匹の猫を各陣営に置き、瞳孔の大きさを見て時刻をはかり、出撃の合図に使用したとされています。
本当に時を知ることが出来るの!?
猫の瞳孔が閉じたり開いたりするのは、光の加減によるものなので、正確に分かるかどうかは疑問が残ります。
しかし、当時は現在のように街灯や蛍光灯などがないため、猫の瞳孔は太陽の光以外の影響を受けることがないために、現在よりは時を知ることができたかもしれません。
でも、太陽が出ていない、天気の悪い日はどうしていたんでしょうか。
日本における猫の歴史
奈良時代にネズミ駆除の目的で中国から輸入されたという説がありますが、長崎県にある弥生時代の遺跡から、猫の遺骨の発見例もあり、紀元前から日本に存在していたとする説もあります。
戦国時代にはシャム(タイ)などからの輸入もあって、それらの種の猫も日本に存在しました。
奈良時代に輸入されたとされる猫は、その当時は特権階級の者(天皇など)だけが飼育をしていました。
戦国時代より以前の室町時代には、猫は貴重な愛玩動物だったため、首輪をつけて飼っている家庭もあったと言われています。
それまでの通り、ネズミ駆除として猫を使いたかった豊臣秀吉が、「猫に首輪をつけるな」というお触れを出したという逸話もあります。
江戸時代には、猫はさらに貴重になったため、ネズミ駆除のためのお守りとして猫の絵を売り歩く者もいたとされています。
島津義弘が連れていった猫たち
島津義弘が朝鮮出兵に連れていった猫たち7匹のうち、5匹は戦死となったとされていますが、残りの2匹は生還し、薩摩に戻ることができました。
生還した2匹のうち1匹は「ミケ」といい、もう1匹は義弘の次男:島津久保に可愛がられた「ヤス」と呼ばれる猫でした。
この2匹を祀った神社が、旧島津家別邸と庭園である仙巌園にある、「猫神神社」です。
時を知らせるために参戦させられた猫たちを祀っているだけに、毎年6月10日の時の記念日には時計業者たちが集まって祭が開かれています。
また猫の長寿祈願と、供養祭も行われており、神社にはミケとヤスの絵が描かれた絵馬が販売されています。