即身仏の作り方!? なるための厳しい修行のイロハ
ミイラと聞いて思い浮かべるのは、エジプトのツタンカーメンなどの包帯グルグル系でしょうか。
おそらく、このサイトの読者の皆さんの中には、ミイラ=即身仏と連想する人も少なくないかもしれません。
今回は、そんな即身仏についてのちょっと怖くて切ない覚悟のお話をお伝えしていきます。
即身仏になるための方法
即身仏になるためには、非常に厳しい修行を行わなければなりません。
生き物は、死ぬと肉は腐りいずれ骨になる事は分かりますよね。即身仏は死後骨にならずに形をの残さなくてはいけないので、それまでの過程が非常に大変なことなのです。
まずは、死んでも腐らないように、極端な食事制限をして肉や脂肪を落としていきます。これを木食行といい、はじめは米、麦、大豆といった穀物五種を断つ五穀断ちをし、体が慣れて来たら今度は十穀断ちをします。
木食行の間も、水垢離や日々の修行はおこたりませんし、一度木食行を始めたら、即身仏になるまで一生続けなくてはいけません。
何日間という決まりがなく、体が骨と皮になるまで続けられるので個人差があり、即身仏になった僧の中では、70年もの間木食行を続けた人もいます。
体の脂肪が落ちたら、次は漆を飲みます。
漆かぶれとよく聞くことのある漆は、もちろん体にとっては毒です。漆を飲み、何度も嘔吐することで体の水分を抜きます。さらに抗菌効果も強い漆を飲むことで、内側からの防腐処理という意味合いもあります。
海外のミイラは、死後内臓を取り除いて防腐処理を施すのですが、即身仏の場合は生きたまま自分の意思でそれらを行わなければいけませんから、並大抵のことではありません。
いよいよ死期が近づいて来たら、弟子や信者たちの手を借りての土中入定となります。土を掘って作った穴の中に石室を作り、その中に木棺を入れます。そして木棺の中に即身仏になる僧が入ったら、すべてに蓋をして、土をかぶせます。竹筒で空気穴だけは確保されますが、その暗闇の中で一切の水と食料と断ち、鉦や鈴を鳴らしながら読経を続け、僧は死んでいきます。
鉦や鈴の音が聞こえなくなったら亡くなった合図とし、空気穴を塞ぎそのまま三ヶ月以上置きます。
その後弟子たちが掘り出して、即身仏になれていれば衣裳を整え、仏さまとしてお祀りするのです。
なぜ即身仏になることを選んだのか
即身仏とは、苦しむ衆生を救う仏になろうとした僧のことです。
真言宗の開祖である空海の唱えた、生きたまま仏として悟りを開く「即身成仏」とは少し違い、死ぬことで完成する「即身仏」は厳しい修行の最終形態として、位置付けられています。
仏教が盛んだったころの日本は、戦や飢饉疫病や搾取がはびこり、富める者は病を憂い、貧しいものは飢えと寒さに怯え、そういう意味ではぬくぬくと過ごす現代人には到底想像も付かないような厳しい生活を送っていました。
そんなとき人々は、いよいよ死ぬときには仏さまがが迎えに来て、極楽へ連れて行ってくれるのだと、そう信じることで苦しい生活にも耐えてきました。
お腹が空いている人や病気で苦しむ人が目の前にいても、一時的に手助けができたとしても根本原因を変えることはなかなかできません。個人の力で食料や金銭面ですべての人を救うことは実質不可能です。
ならば、そういった運命を穏やかに受け入れようと発想の転換を促し導くのが僧の役目です。その方法は、もちろん宗派や教義によって違いますが、「苦しむ人の心を救いたい」という基本理念は変わりません。
修行積むこと、あるいはその姿を見せることで、「私たちを導くために厳しい修行をしてくれている人がいる」と人々に思わせ、それによって救われる人々がいるのなら、いっそ自分が仏になって直接この人々を導こう、と考える行者も出てきました。
即身仏になれた人 成功の共通点は
現段階で日本でお祀りされている、即身仏は17体です。
真言宗の開祖、弘法大使空海は、生きたまま入定し即身成仏となり、高野山の奥の院でいまだに禅定中であるとの伝説があり、後の真言宗の僧たちが空海になぞらえ即身仏を志したケースも多いと言われています。
現存する17体の即身仏の内、10体が「○○海」の名を得ていることでも、空海の弟子としての入定していることが分かります。
また、即身仏の多くは山形県の湯殿山系の寺院にあり、古くから厳しい修験道の聖地として栄えた歴史を垣間見ることができます。
これは一例なのですが、湯殿山で即身仏を目指した僧たちが修行の際に口にしたご神体の岩から湧き出る湯や堆積物には、ヒ素が含まれていたそうです。そのようなことも、即身仏になるのに効果的に作用したのかもしれません。
まとめ
即身仏になるには、このように過酷な修行と、強い精神力を必要とします。
そして、例えそれらをすべて適えた人でも、掘り出してみるとお骨になってしまっていれば、それは失敗ということになってしまいます。
実際、多くの僧たちが、即身仏になろうとして失敗しました。
原因ははっきりとは分からず、脂肪が残っていたのか、水分が多かったのか、はたまた土中のコンディションのせいかも知れません。
ただ一つ言えることは、先述した「即身仏の作り方」は、先達のたくさんの失敗があってこそ、確立された方法であるということです。