失敗することもあった「即身仏」になれなかった修行者たち
即身仏とは、現世で苦しむ衆生を救うための、厳しい修行の末己の身を捧げ、ミイラとして残したお坊さんのことです。
即身仏になるためには、いくつかの条件があります。
それらがすべてうまい具合に合致して、はじめて即身仏になることができます。
「苦しむ衆生を救いたい」その思いだけでは、悲しいかな「即身仏」にはなれないのです。
前回は即身仏になる方法をお伝えしましたが、今回は、即身仏になるのに失敗してしまったケースにスポットを当てたいと思います
「即身仏になる」とは
一般に「即身仏」といわれる仏さまは、どのような状態を言うのでしょうか。
生物はその生命活動を終えると、腐り骨になりやがて土に帰ります。
腐らずに、生きていた時の姿に近い形(ミイラ)で仏さまになるのが、即身仏です。
「腐敗する」という自然界では当たり前のことを、どう乗り越えていくかが、即身仏となるうえでの最重要課題です。
腐りやすい脂肪と筋肉を落とすために、木食行という穀物を断つ修行を行います。そのあいだは、草の根や木の皮などを食べ、カロリー摂取をしないで、自然に餓死状態にもっていくのです。
また、多くの人の協力が必要なことでもあり、本人自体も人望や信仰を集める功徳の人でなければいけません。
失敗の原因と考えられるもの
即身仏になる決意をした僧は、木食行の極端な食事制限をすることで腐りにくい体を作っていきます。
しかし、それだけでは即身仏にはなれません。
土中入定の段階で、地中のバクテリアや微生物などに分解されるのを免れなくてはいけないし、土の湿度や温度にも左右されるでしょう。
即身仏に失敗した僧たちのほとんどは、木棺に骨と衣だけ残した状態で掘り出されました。
脂肪がまだ少し残っていたのか、水分が抜けきらなかったのか、それとも天気が悪い日が続いたのか、さまざまな複合的な要因が重なったのかすらも、はっきりとしたことは分かりません。
ですが、たとえ学術的な研究データが出されても、おそらく信仰の前には何の意味も持たないとも思われるのです。
成功するのは一握り
現在、日本には17体の即身仏が祀られていますが、そのすべてが奇跡といっても良いほど、即身仏になることは難しいことです。
全ての成功は、多くの失敗の上に成り立っています。
そもそも、木食行の方法だって、先達の失敗や経験をもとに長い時間をかけて作り上げたものなのです。
そして、たとえ形の残った即身仏になっていなくても、本当の意味では「失敗」などでは決してなく、人々を思い、世を憂い、たった一つの己の身を信仰と救済にささげた上人たちの姿は、すべからく尊いものであるでしょう。
山形県の湯殿山には、即身仏になり切れなかった修行者たちを供養する石碑が、ひっそりと群生しています。