野ざらしの巨大仏の謎 鎌倉の大仏の本殿は津波で流された?
国宝『鎌倉大仏』
正しい名称は、『高徳院本尊・阿弥陀如来坐像』といい、台座を含めた全長13.35メートル、重量121トンの巨大な仏像は、1252年(建長4)から10年の歳月をかけて作られました。
鎌倉の大仏様といえば野ざらしであることが有名ですが、実はもともとは仏像を覆う大仏殿がありました。
その大仏殿が倒壊した理由は大津波である、と広く言われているのですが、じつは専門家の間では「俗説」だそうなのです。
大仏様の座す鎌倉市長谷は、マップで見ると海岸線からも距離が近く、津波で流されたという説を信じてしまいそうですが…その真相を検証してみましょう。
「津波で流された」は俗説?本殿がない本当の訳
鎌倉大仏殿は「津波で流された」という説の出どころの一つは、江戸時代に書かれた「続本朝通鑑」という一つの書物によります。
明応四年(1495年)の夏、津波を伴う大きな地震が鎌倉付近を襲いました。
地震の規模は、マグニチュード8.6とする説もあるほどの大きな地震で、その被害を書いた記録は各地に数多く残っています。
鎌倉大仏殿が「津波で流された」という説の根拠とされているのは「鎌倉大日記」という、当時東国で起こった様々な事柄を書き記した年表のようなもので、それには明応地震についての記述があります。
明応四年乙卯八月十五日、大地震洪水、鎌倉由比濱海水到千度檀、水勢入大佛殿破堂舎屋、溺死人二百餘
たしかにこれを読むと、明応四年の8月15日の地震で、洪水(津波)が起き大仏殿が壊れ、二百人もの溺死者を出す被害だったと書かれているように見えます。
でも、細かいことを言えば、大仏殿の被害はあったけど「大仏殿が津波で流されました」とは明記されていないのも事実です。
また、江戸時代に書かれた書物で、大仏殿が津波に流されたと書かれているものがあります。それは「続本朝通鑑」というのですが、なにしろ江戸時代に書かれたものですので、津波の説にしても何百年もの前の真実が書かれているとは断定できず、あくまでも「都市伝説」の域を出ないと専門家は見ます。
現在の海岸線からの距離は約800メートル、当時とは海岸線も変わっているでしょうから、津波の可能性は全くないとは言えません。それでも海抜で言うと14メートルという鎌倉大仏のところまで巨大な津波が来たとなると、もっと低い位置にある鶴岡八幡宮や、鎌倉の町全体も水に飲まれていることになります。それならば鎌倉大日記もそれなりの記述があるはずですが、見つかっていません。
最近の研究では明応地震による鎌倉の津波の高さは8~10メートルという試算が出ています。
キーワードは「露座」
一方、『梅花無尽蔵』という、東国を行脚して歩いた万里集九という禅僧が書き残した紀行文があります。
上記の「鎌倉大日記」や「続本朝通鑑」のような、作者も書かれた日時も明確ではなく原本も残っていない書物よりは、その点がはっきりしている『梅花無尽蔵』の方が史料的価値は高いとされます。
そこには明応地震のあった明応四年の9年前、鎌倉大仏を訪れた時のことを記した一文があります。
逢大仏仏長七八丈、(省略)、無堂宇而露座突兀
露座。
つまり万里集九が訪れた時すでに、大仏殿はなかったと書かれているのです。
他にも、中は空洞になっていて多くの人が入れるスペースがあり、賭博の場になってもいる、という記述も見られます。
また、前出の「鎌倉大日記」には、1369年(応安二年)に「鎌倉殿倒壊」、何らかの理由で大仏殿が壊れたことが書かれています。
1369年から、万里集九が訪れる1486年までの117年間の間、建て直されてまた壊れたのかもしない可能性はゼロとは言えませんし、無堂の大仏を万里集九が見たあと地震が来るまでの九年間に大仏殿が再建されなかったとは、断言できません。
できませんが、しかし、再建された可能性はやはり、低いのではないでしょうか。
本殿再建に至らなかった理由
「鎌倉大日記」に書かれている「鎌倉殿倒壊」の1369年、明応地震のあった1495年、当時の鎌倉はどのような様子だったのでしょうか。
まず、特筆すべきなのは、そのころにはすでに鎌倉幕府は滅亡しており、室町幕府の所在地京都に政権の中心は移ってしまっていたことです。
鎌倉の大仏は台座を抜いても11メートルはあろうかという巨大像です。それを覆う大仏殿建設ともなると、莫大な資金と労力が必要となったでしょう。
何もなくなってしまった土地に、それらを提供し工事を進める財政が幕府にあったとは思えないので、やはり再建の線は薄いと思われます。
そもそも、倒壊したことが書かれているのであれば、再建したことも書かれているはずですね。それらしい記述は、現在では見つかっていません。
まとめ
伽藍に抱かれ厳かに佇む神秘の仏像を眺めたり、美術館や博物館で仏像に出会うのも確かに素晴らしいことです。そこには繊細な美しさがあり、力強い躍動があります。敬虔な信仰心という概念が薄れてきた昨今、それでも私たちの心に沁みる「ありがたさ」は、日本人の本懐といってもいいほどです。
とはいえ、鎌倉大仏の空の青さとのコントラストも素晴らしいものがあります。
露座でも決して失われないその威厳は、老若男女また貴も貧も、詣で見上げる者を選ばない、そんな懐の深さが愛され続けているゆえんなのでしょう。
それは例えるなら、大きな木のようで、その陰で休む動物たちを見守る慈悲のまなざしすら感じられます。