聖徳太子と蘇我入鹿 2人は同一人物だった!?

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古代人の中で最も有名な聖徳太子。そして、蘇我馬子、蝦夷に続き親子3代にわたって古代政権の最高権力者として権勢をふるった蘇我入鹿。

かたや聖人として崇められ、かたや日本古代史の大悪人と言われた二人。この二人が生きた時代は少し違いますが、意外な繋がりがあるというのです。

いったいどのような関係だったのでしょうか。

聖徳太子について

聖徳太子はみなさんお馴染の古代の政治家であり、冠位十二階の制や十七条の憲法を定めた人と言われている方です。

日本古代史の中では一番有名な人といってもいいのではないでしょうか。まずはそんな彼のプロフィールを見ていきたいと思います。

聖徳太子は574年2月7日に父・用明天皇、母・穴穂部間人皇女(欽明天皇の娘)の間に生まれました。用明天皇の第2皇子です。

本名は厩戸皇子または厩戸王といい、聖徳太子は後世につけられたものなのです。その名の由来は厩戸(馬小屋)の前で生まれたからだとか、生誕地の近辺にある地名からつけられたとか、いくつかの説があります。

聖徳太子は幼いころから天才と言われ、百済から入手した仏教経典100巻を7歳で読破したと言われています。

592年、聖徳太子の叔母である額田部皇女が推古天皇として即位すると、翌年その摂政(または皇太子とも)として推古天皇の政治を助け、冠位十二階の制や十七条の憲法を制定しました。また仏教を厚く信仰し、「三経義疏」を著しました。仏教の教えは争いの多かった豪族たちの心を鎮めることに役立ち、天皇中心の中央集権国家を作ることに役立つと考えたのです。

聖徳太子は4人の妻を持ち、その中の一人である刀自古郎女(とじこのいらつめ)との間に山背大兄王がいます。この山背大兄王は有力な皇位継承者とみなされていましたが、蘇我蝦夷に妨げられ、その後、次に紹介する蘇我入鹿に攻められ、自害に追い込まれた人物です。

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蘇我入鹿とは

生年は不詳だが、父の蘇我蝦夷の生まれた年が586年頃とされているため、父の年齢を考慮して600~610年頃だと思われます。

父の父(入鹿の祖父)は蘇我馬子で、聖徳太子とともに国政を担った人物です。蘇我入鹿は若いころは僧・旻(みん/小野妹子に従って隋に渡った留学僧)に師事した秀才だったといわれています。

642年、皇極天皇の即位に伴い、父・蝦夷に大臣の座を譲られ、父に代わって国政を掌握しました。また、聖徳太子以来の、天皇を中心とした中央集権国家にしようという動きを抑るために、蘇我氏と縁が強く、意のままに動かせる古人大兄皇子を次期天皇にしようとしました。

そのために、上記の通り有力な皇位継承者である山背大兄王の存在が疎ましくなり、山背大兄王を自害に追い込みました。

こうして入鹿は実質最高権力者として権威を奮っていましたが、それをよく思わない中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌足(藤原鎌足)によって645年に宮中の儀式の最中に入鹿は誅殺され、入鹿の父・蝦夷は自殺に追い込まれました。(乙巳の変)

By: Ik T

聖徳太子と蘇我入鹿は同一人物!?

まず、初めに記するのは、歴史小説家の関裕二氏の説です。

前置きとして、蘇我善徳(そがのぜんとこ)という人物について記しますが、この蘇我善徳という人物は蘇我馬子の長男であると言われています。そして聖徳太子=蘇我善徳=蘇我入鹿というのです。その説は次のような論法によるものです。

「元興寺縁起帳」によると、大々王(物部氏出身)の子が聡耳皇子(元興寺をつくる)、巷奇有明子(蘇我馬子)の子が善徳(元興寺を建てる)であると記されています。

「日本書紀」によると、蘇我馬子と物部守屋の妹の間にできた子が善徳(元興寺の初代寺司)であると記されています。

「先代旧事本記」によると、宗我嶋大臣(蘇我馬子)と物部鎌姫大刀自連公の間にできた子が豊浦大臣(入鹿)と記されています。

聡耳皇子は聖徳太子の別名だと言われています。以上のことから聖徳太子=蘇我善徳=蘇我入鹿だというのです。

また、別の説では、奈良県橿原市にある、蘇我入鹿を祭る神社である入鹿神社の境内にあった普賢寺にあった石碑に「聖徳太子」と刻まれており、ここに聖徳太子が眠っているという可能性があると言われていること、聖徳太子が建てたと考えられている法隆寺の祭りで行われる「聖霊会(しょうりょうえ)」の主役「蘇莫者(そまくさ)」が蘇我入鹿を彷彿とさせると言われていることがあげられます。

聖徳太子=蘇我入鹿だと時代が違いすぎるのではないかということもあり、この説は定説ではありません。

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投稿者プロフィール

天智天皇~称徳天皇朝が好きな一児の歴女ママです。
夢は奈良の明日香村付近に住んで、その時代の古墳やゆかりの地巡りを満喫したいなと思っています。
皆さんに読みやすく、そして分かりやすく面白い文章をお届けしたいです。

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