徳川家康が天下を取ることは手相に出ていた!?
江戸幕府初代将軍・徳川家康。
その家康の遺体が葬られていることで有名な久能山東照宮には、家康の手相も残されています。
戦国の世を終焉させ、その後200年以上続く太平の世をもたらした家康の手相とはどのようなものだったのでしょうか。
つかんだものは離さない「百握り」
家康の手相の最大の特徴は「百握り」とも呼ばれるマスカケ線という手相です。
マスカケ線とは、知能線と感情線がつながった状態の手相のこと。
縁起のいい手相で、危機的状況に陥っても驚くような才能を発揮して成功をつかみ取ることができます。
コミュニケーション能力に優れ、人望もあるため周囲からのサポートも得られます。
性格としては強情で融通が利かない一方で打たれ強い根性の持ち主です。嫉妬や執着も人一倍だとか。
また、自分に適した道を見つけることができれば天下を取ることもできますが、見つからなければ平凡な人生に終わることもあります。
マスカケ線をもつ有名人
家康以外にもマスカケ線をもつ有名人がいます。
天下統一を前に家臣・明智光秀の謀叛に遭った織田信長、そのあとを継いで天下を統一した豊臣秀吉もマスカケ線をもっていたといわれています。
他にも、メジャーリーガーとして現在も活躍しているイチロー選手や『鉄腕アトム』などを生み出した漫画家・手塚治虫、日本を代表する指揮者・小澤征爾にもマスカケ線があるそうです。
調べてみると芸能人にもマスカケ線を持つ人が結構いるみたいなので、それほど珍しいものでもないのかもしれませんね。
27歳の頃運が開ける!?
家康の手相には、27歳の位置で生命線から中指に向かって開運線というのが伸びているそうです。
27歳といえば、元亀元年(1570)、家康が浜松城へ居城を移した年です。
浜松城は「出世城」という異名もありますが、これは浜松城が家康の出世のきっかけとなったという理由からではなく、江戸時代この城の城主となった人の多くが幕府の重役に出世したからです。
では、この手相は一体どういう意味があるのでしょうか。
そこで注目したいのが、その二年後元亀3年(1572)に家康が信玄に大敗北を喫した三方ヶ原の戦いです。
この戦いで家康は自軍に甚大な損害を出した上、有力な家臣を失い、自らも浜松城に逃げ帰りました。
その時に描かせたのが顰像(しかみぞう)という家康の肖像画です。武田軍の挑発に乗り、多くの将兵を失ったことへの反省とこれからの自分への戒めとして描かせたといわれています。
この後、家康は長篠の戦いや小牧・長久手の戦い、さらには関ヶ原の戦いや大阪の役と勝利を重ねていきました。
それもこの三方ヶ原の戦いでの反省があったからこそ、と考えれば確かに27歳”ころ”運が開けたといえるのではないでしょうか。