天下人 徳川家康 三方ヶ原の戦いで怖さのあまり脱糞をしてしまった!?
思い出したくないほどの失敗ってありますか?
私はありますが、思い出すだけでいたたまれなくなるので、できるだけ思い出したくありません。
それが下(しも)関係の話だったら、もう大変です。記憶から抹消したくなるはずです。
しかし、後の天下人徳川家康がまさかまさかの脱糞をしてしまったというエピソードがまことしやかに伝わっています。
徳川家康のイメージとはかなり異なる出来事ですが、検証していくことにしましょう。
武田信玄に敗れ、敗走中に家康は脱糞!?
1572年(元亀3年)の三方ヶ原の戦いにおいて、家康は武田信玄に惨敗しました。
完膚なきまでに叩きのめされた家康は敗走の途中、恐怖のあまり馬上で脱糞してしまったというのです。
ただ、実はこの話の出典は明らかではありません。史料価値の高い書物には記されてはいないのです。
唯一類似のものが載っているのが、徳川氏創業史のひとつである「三河後風土記(みかわごふどき)」です。
しかし、この書物では、脱糞した話は、三方ヶ原の戦いの前哨戦にあたり一言坂(ひとことざか)の戦いの後に起こったとされています。
また、三河後風土記は著者不明で、「三河物語」や「松平記」といった他の創業史の参照もなく、偽書説も出ています。
そのため、脱糞の真偽は不明ですが、このような話が伝わり、面白おかしく後世にまで広まったのではないかと思われます。
当時の具足は機能的だった
とはいえ、当時の具足とその付属品は、割と機能的にできていたようです。
具足の下に穿く具足用袴は、股の部分が割れており、褌を締めていても、なんとかずらして用足しができたそうです。
考えてみれば、1日中戦場で走り回っていても、生理現象を止めることはできませんからね。
なので、家康はもしかしたら恐怖のあまり脱糞をしたではなくちゃんと排泄したつもりが、ちょっと失敗してしまっていたという可能性もなくはないと思います。
ただ、どちらにせよ恥ずかしい感じではありますが…。
脱糞を誤魔化したというエピソードについて
脱糞してしまったということを前提に進めていくと、武田軍の山県昌景(やまがたまさかげ)隊に追撃され敗走した家康は、恐怖で馬上で脱糞してしまいます。
命からがら浜松城に逃げ帰ったところで、家臣の大久保忠世(おおくぼただよ、もしくは忠佐・ただすけとも伝わっています)に、「漏らしていますよ」と指摘されてしまいました。
そこで家康は顔を赤くして起こり、「これは味噌だ!」と答えたのだそうです。
確かに、当時は焼味噌などを非常食として戦場に携帯してはいたようですが、ちょっと苦しい言い訳のような気がします。
家臣の前でさすがにこの状況を漏らしてしまったとは言えなかったのですね。
まとめ
真偽のほどは不明ですが、ある程度「グレー」というところなのかなと思います。
恐怖で「小」の方を漏らすことはまあ聞きますが、「大」の方とは、余程、想像を超えた恐怖を味わったのでしょう。
しかし、そのまま討ち取られなくて良かったですね。
漏らしたまま討死だなんて、それこそ戦国大名の名誉に関わることだったでしょうから…