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槍の又左こと前田利家の愛槍は現存している?

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何事においても、エキスパートというのは尊敬すべき存在です。

戦が絶えない世の中だったら、武器のエキスパートは神様に近い存在だったのではないでしょうか。剣、弓、銃、そして槍など、多くの武器の名手が存在します。

戦国時代において、槍の達人といえば、前田利家か加藤清正という名前がすぐに挙がるのではないかと思います。

今回は、前田利家と彼の槍についてのお話です。

「槍の又左」の活躍とは

前田利家は小姓として織田信長に仕えていましたが、初陣をこのときに果たしています。萱津の戦いにおいて、彼は自分の槍で敵の首をひとつ挙げました。それを見た信長は、「心臓に毛が生えている」と称賛したそうです。

1570年の浅井氏との姉川の戦いでは、浅井助七郎を討ち取り、またも信長に「今にはじまらず比類なき槍」と褒めたたえられました。ここで「今にはじまらず」と言われていることから、これ以前から利家がその槍の腕で活躍していたことがうかがえます。

また、同年の本願寺との戦い(春日井堤の戦い)では織田軍が敗走することになりますが、ここで利家は戦場にとどまり、味方の退却を助けたのです。この働きで、彼は「日本無双の槍」、「堤の上の槍」と称されるようになりました。

このように、数々の戦いで武功を挙げた利家は、彼が得意とした槍を枕詞にした「槍の又左」といつしか呼ばれるようになっていきます。又左というのは、彼の元服名「前田又左衛門利家」から来ています。

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利家が使っていた槍

利家が使用していた槍の長さは、三間半(約6m30㎝)であると言われています。相当長いですね。

利家の身長は約182㎝あり、当時の成人男性の平均の157㎝を大きく上回っているので、名手である彼ならば規格外の長い槍も扱えたのでしょう。

また、派手な朱色に塗られていたということで、戦場ではさぞかし目立ったことと思われます。若い頃は傾奇者として鳴らした彼の一面が伺えますね。振り回す、なぎ倒す、突く、斬るなど様々な動作ができる上に見栄えがしますので。

利家愛用の槍は現存している?

「槍の又左」として名を馳せているならば、きっとその槍も名槍として伝わっているだろう…と思いきや、どうやら残っていないようなのです。

そして、名前も不明です。使い捨てだったのでしょうか。利家は倹約家でしたから、名もない槍を使いまわしていたのかもしれませんが…そのサイズや派手さを確認できないのは残念です。

まとめ

傾奇者で長身の美男子だった利家が、これまた長大で派手な槍を携えて歩く姿を見て、人々は「又左衛門の槍が来た」と言って道を退いたと言います。

けれど、彼が戦場で大活躍できたのは、その派手な相棒があったからでした。彼は自分を強く見せ、実際に強くしてくれた最高の武器を持っていたわけですね。強いはずです。

xiao

投稿者プロフィール

歴史と犬の話題があれば生きていける、そんな人間です。
平安時代と戦国時代が好きですが、調べ出したらどの時代でも面白いです。歴史って本当に面白いものですね。
「トリビア」な話題を、みなさんにわかりやすく面白く読んでいただけるように頑張ります。

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