徳川吉宗が大奥の大量リストラを行ったワケとは!?
江戸幕府8代将軍・徳川吉宗。
彼は破綻しかけていた幕府の財政を、増税と質素倹約の改革(享保の改革)によって復興させました。
そんな彼の改革の中には、大奥の経費削減のために大量のリストラを行いました。
その理由などについてご紹介します。
大奥のリストラの理由
徳川吉宗は徳川御三家の一つ、紀州藩の出身です。
7代将軍:徳川家継が7歳で夭折し、徳川本家の秀忠から続く男系血統が途絶えました。
そんな幸運(?)に恵まれ、吉宗は次期将軍候補となりました。さらなる幸運が彼に降りかかり、他の将軍候補であった尾張藩の徳川吉通とその子が病死します。
大奥の中でも、次期将軍はどちらの藩から出すかと、紀州藩側・尾張藩側に分かれていました。
結局、天英院(6代将軍・家宣の妻)の指名で吉宗が将軍と相成りました。
これによって紀州藩と尾張藩の間に緊張が走りました。
大奥のリストラの理由は、上記の通り経費削減によるものだというものが通説ですが、尾張藩側であった者たちを一掃したかった、という理由もあるでしょう。
経費削減をうたいながら、吉宗は自分をたててくれた天英院に年間1万2000石という破格の報酬を与えています。
大奥の人数そしてリストラされた人数は
大奥の人数は推定でしかわかっていませんが、最盛期で1000人とも3000人とも言われます。これは将軍へのお目通りを許されない雑用係の女中の数も含みます。
吉宗が活躍した江戸中期頃は400人ほどだとされています。(ちなみに吉宗が譲位してから約40年後に将軍職についた家斉の時代は370~380人、幕末の家茂の時代は375人ほどと言われています)
吉宗はここから美女ばかり50人をリストラしました。
美女ばかりをリストラした理由
吉宗曰く、「美女は他に貰い手があるから」ということだそうですが、女たちのプライドをくすぐってリストラに対する不満を軽減する、うまい言い方ですね。
セリフ通りの理由もありますが、やはり美人はそれなりに身なりに対してお金をかけたがるので、そういった者たちをリストラすることによってかなりの経費削減になるということがわかっていたのでしょう。
また、美人は虚栄心が強く、吉宗の側室になろうと権力争いばかりしているので、吉宗は嫌気がさしたとも言います。
吉宗は「女は貞節で嫉妬深くないのがいい」という人で、むしろ女の顔など興味がなかったのでしょう。
リストラによって削減された経費はいくらくらい?
大奥の人々の中にも位があり、将軍にお目通りを許される者、許されない者がいました。
お目通りが許された者の中でも、一番上の上臈御年寄から一番下の呉服之間(という階級)まで、13にも分けられていました。
その13階級の中級、上から8番目の階級に「表使」というものがあります。
この表使いでだいたい現在のお金に換算して、550万ほどの給料が与えられていました。
仮に、吉宗がリストラをした50人全員がこの表使だったとしたら、550万×50人で2億7500万の人件費が削減されることになります。
それだけでもすごい額です。
現代の政治家さんたちも見習ってほしいですね。