日本人で初めてラーメンを食べたのは水戸黄門こと、徳川光圀だった!?
「水戸黄門」で有名な徳川光圀。
彼は人一倍好奇心が旺盛で、珍しい物を見たり聞いたりすると目を輝かせていたと言います。
そんな彼が日本人で初めてラーメンを食べた人物だと言われています。
それは本当のことなのでしょうか?
そして、当時のラーメンとはどのようなものだったのでしょうか?
明の儒学者がラーメンを献上した!?
明に生まれた儒学者:朱舜水は、明朝が滅亡し、代わりに清朝が成立すると、明朝復興運動に参加します。
しかし、1659年南京攻略戦の敗戦後、明朝復興運動は諦め、日本の長崎に亡命します。
長崎に着いてからは筑後柳河藩の儒学者:安東省菴(あんどう せいあん)の助けを受けながら放浪生活を送ります。
その後、舜水は1665年6月に徳川光圀に招聘されて、翌月には江戸に赴いています。
その際に、朱舜水が光圀に中国の汁麺を献上したという記録自体はないものの、舜水の所持品リストには中華麺を作る時のものが含まれていたことから、実際に作って光圀に食べさせたということは間違いないと言います。
これが日本人が初めて食べた「ラーメン(中華麺)」ということになります。
1697年には光圀が隠居していた西山荘を訪れた僧や家臣らにこの中華麺が振舞われたという記録もあります。
ちなみに日本の歴史上、光圀が最初に食べたとされるものは他にもあり、餃子、チーズ、牛乳酒、黒豆納豆などがあります。餃子も朱舜水に教わったと言われています。
当時のラーメンはどんなラーメン?
舜水が光圀に献上したラーメンは、小麦粉とかん水の代わりにレンコンからとった藕粉(ぐうふん)を使って作った平打ち麺で、スープはフォトゥイという中華ハムで取った塩味ベースの澄んだ汁でした。
この時代は徳川綱吉の治世で、生類憐みの令が出されており肉食はタブーとされていましたが、光圀はこれを無視していたため、肉で取ったスープも嫌がらずに飲んだのでしょう。
この舜水の作ったラーメンは、文献には「うんどん(うどん)」のような汁麺と記されています。
レンコンの粉が含まれているため、麺は全体に茶色で黒い点があります。
また、しょうが・ニンニク・にら・ネギ・ラッキョウが「五辛」という薬味として添えられていました。
麺の作り方や見た目もそうですが、ラッキョウを添えるところが現在のラーメンとは違ったところですね。
この味を楽しみたい方は
この舜水が作ったラーメンは文献に基づいて現在でも作られ、「水戸藩ラーメン」として茨城県水戸市で販売されています。
また、県外では京都の太秦映画村や東京三鷹市の飲食店でも提供されています。
そして、神奈川県横浜市港北区にある新横浜ラーメン博物館には水戸徳川藩の家紋である、水戸三つ葵の紋をあしらった椀に盛られた、再現料理のレプリカが展示されています。