日本人初の眼鏡ユーザーは徳川家康だった!?
今では当たり前のように、多くの人が眼鏡を使っていますよね。
近頃はコンタクトレンズの人の方が多いようですが、私は断然メガネ派です。
実は、徳川家康がメガネユーザーだったという話があるんですよ。
あまりイメージがわかないのですが…これはいったいどういうことでしょう?
どこから手に入れたんでしょうか。そもそも、それって本当の話なのでしょうか?
家康が日本で初めて眼鏡をかけた?
日本に初めて眼鏡がやって来たのは、1551年にフランシスコ・ザビエルが上陸したときです。彼が、周防国の戦国大名:大内義隆に献上したそうです。
しかし、義隆が使用した形跡はないようで(そういった記録がないそうです)、もしかすると彼は視力が良かったのかもしれませんね。
また、京都の大徳寺内の大仙院に、室町幕府第12代将軍足利義晴が所持していたという眼鏡が保管されています。
となると、家康が日本初のメガネユーザーというわけではないようです。
家康はどうやって眼鏡を手に入れたのか
家康の眼鏡がやってきた経路、関わった人物については記録がありません。
しかし、当時の日本では眼鏡は生産されていませんでした。そのため、眼鏡を手に入れるには海外からのルートしかなかったと考えられます。
戦国大名は海外との貿易を行っている人物もいたので、家康もこういったルートから手に入れたのでしょう。
家康に厚遇されたオランダ人ウィリアム・アダムス(三浦按針/みうらあんじん)もいますし、もしかするとオランダからではないかとも思われます。
眼鏡の歴史
まず、10世紀から11世紀のアラビアの数学者・アルハーゼンが、適度にカットされた光学レンズが視力を助けるということを発見しました。
この理論をもとにして、13世紀には眼鏡の開発が盛んになります。
ガラス工芸技術が発達していたイタリア、特にヴェネツィアが発祥の地ではないかと言われていますが、おそらくイタリアであろうということしか今はわかっていません。
家康の使った眼鏡
家康が使っていた眼鏡は、静岡県の久能山東照宮に2つ保管されています。当時は「目器(めき)」と呼ばれており、耳にかけるタイプではなく、手持ちのタイプでした。横幅は約9㎝、レンズの直径は約4㎝です。
ちなみに、2015年に静岡県眼鏡組合がこの眼鏡のレプリカを70個作成し、浜松市に寄贈しました。
眼鏡組合の加盟店舗にも配られているので、街を歩いていたら見られる可能性があります。
まとめ
上野の不忍池のそばに、「めがね之碑」という記念碑があります。これは家康の眼鏡をモチーフとしてつくられたものだそうで、毎年4月10日に眼鏡の恩恵と先人への感謝を込めて供養祭が行われます。メガネユーザーの私も、ぜひこれには行ってみたいと思いました。