菅原道真の好物だった? 今も残る大宰府銘菓 梅ヶ枝餅のエピソード
菅原道真は朝敵に陥れられて左遷され、現在の福岡県にある大宰府に太宰員外帥とされました。そして、無念の中同地で死去しました。
そんな菅原道真にゆかりのある大宰府にある大宰府天満宮土産の代名詞として知られる梅ヶ枝餅は菅原道真の好物であったと言われています。
それは本当のことなのでしょうか?
菅原道真と梅ヶ枝餅のエピソード
菅原道真は罪人同様に大宰府に左遷されて、食べ物もままならないほど厳しい暮らしを強いられていました。
そんな時、一人の老婆(浄明尼)がそんな道真の生活を見かねて、梅の枝に栗餅をくくりつけて道真に供したとされています。
なぜ梅の枝にくくりつけて差し入れたのかというと、道真は軟禁状態にあり、老婆はその鉄格子越しに餅を渡さなければならなかったため、手で直接渡すには届かなかったからであり、その様子が絵巻にも描かれています。
老婆が差し出した栗餅がその後道真の好物となったそうですが、現在大宰府で売られている梅ヶ枝餅はこの道真と老婆の故事に倣い、太宰府天満宮の門前町でつくられるようになりました。なので梅ヶ枝餅が菅原道真の好物であったというのは誤りです。
梅ヶ枝餅の名称の由来は、上記以外の説があります。それは道真の死後、老婆が道真の墓前に餅とともに梅の枝を供えたことからという説です。いずれにせよ菅原道真と老婆の関係が梅ヶ枝餅の名称の由来となりました。
菅原道真と梅のエピソード
菅原道真は梅ヶ枝餅以外にも、梅と関わるエピソードがあります。
菅原道真は元々梅の花が好きだったようで、次のような歌を詠んでいます。
「東風吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」
(春の東風が吹く時期になったら、花を咲かせて香りを届けておくれ、梅の花よ。主人である私(道真)がいなくなっても春を忘れないでおくれ)
これは道真が大宰府に赴くとき、京都の紅梅殿にあった梅に対して詠んだ歌です。
その道真がとりわけ愛してきた梅の木が一夜のうちに主人の道真の暮らす大宰府にまで飛んでゆき、その地に降り立ったという「飛梅伝説」があります。
この飛んできた梅は太宰府天満宮の神木として「飛梅」という名称で今なお咲き誇っています。
また、道真公・太宰府天満宮の象徴として梅をかたどった「梅紋」が使われています。

By: gtknj
梅ヶ枝餅を食べたいアナタに!
現在、梅ヶ枝餅は主に福岡県太宰府市で販売されており、インターネットでも購入が可能です。
また、県内で行われる縁日や観光名所、駅や空港などでも買うことができます。
太宰府天満宮近隣でももちろん売られており、そこでは菅原道真の誕生日である845年6月25日と、没年月日である903年3月25日にちなみ、毎月25日を「天神様の日」と定めてヨモギ入りの梅ヶ枝餅が販売されます。