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坂本龍馬暗殺の真犯人はフリーメイソン!?

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1867年、旧暦11月15日の深夜、京都、近江屋に宿泊していた坂本龍馬は刺客の手により盟友、中岡慎太郎と共に、無念の最後を遂げます。

日本最初の株式会社である亀山社中、後の海援隊を結成し、犬猿の仲と言われた薩摩と長州を結びつけ倒幕を急速に加速させたばかりか、王政復古の大号令を出す事によって、内戦を回避しようとした坂本龍馬。

その龍馬暗殺の真犯人にフリーメイソンが関与しているという噂に迫ってみたいと思います。

龍馬暗殺の犯人とされる4つの説を検証

フリーメイソン説の前に、これまでに有力説とされている4つの龍馬暗殺の真犯人説をあげてみましょう。

新撰組による犯行

新撰組による犯行の根拠は、新撰組の参謀、伊藤甲子太郎が、現場に残された刀の鞘を新撰組隊士、原田佐之助の物と証言した事です。

しかし、新撰組は近藤も土方も龍馬暗殺を否定しています。

新撰組の役割は、龍馬のような倒幕を企むテロリストを捕縛し斬る事ですから、本当に龍馬を斬っていれば斬ったというはずであり、嘘を言う必要はありません。

京都見回り組による犯行

京都見回り組とは、浪人の寄せ集めである新撰組とは別に、旗本の子弟で組織された組織です。

こちらも、倒幕を企むテロリストを斬るのが仕事で、龍馬を斬れば、斬ったと言うはずで、余りにも隠す根拠が薄弱ですね。

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薩摩藩による犯行

薩摩藩は、西郷を含め、多くの藩士が、武力討幕を計画していました。

大政奉還により、戦わずして政権を朝廷に返還するという龍馬のアイデアは確かに煙たかったでしょう。

大政奉還は実現したものの、西郷は江戸で謀略を用いて結局、鳥羽伏見の戦いを起こす事に成功し、徳川慶喜を戦場に引きずりだしています。

つまり、坂本が何を言おうが、薩摩が武力討伐に引きずり込むという覚悟なら、坂本を無視して行動を起せたのであり、それを邪魔する力は龍馬にはありません。

中岡慎太郎との内ゲバ

中岡は、薩摩藩に負けじの武力討幕主義でしたが、龍馬を斬りたい程に憎んでいたなら、龍馬は、そんな危険な男と行動を供にするでしょうか?甚だ疑問と言わないといけません。

これらが代表的な4つですが、私は、坂本龍馬暗殺の黒幕を4つの組織に求めるのには否定的です。

龍馬が生きていて大損する可能性があるのは誰か?

龍馬暗殺において、私が重視するのは、大政奉還が実現した結果、大損をするのは誰かという視点です。

薩摩藩のように直接、日本の政治には関与できない勢力であり加えて、日本の内戦に大きなビジネスチャンスを見出している勢力であると考えるのです。

それで考えると、武器商人であったフリーメイソンの影が見えてきます。

龍馬暗殺の真犯人は、フリーメイソンの手先グラバーと土佐の後藤・岩崎

長崎にいた武器商人グラバーは、薩長同盟の時の武器を龍馬が調達した相手として有名です。

グラバーが所属するマセソン商会はアメリカ南北戦争の終戦で大量の在庫を抱えた武器のはけ口として徳川と薩長連合軍の全面対決を望んでいたのです。

ところが、自分達がダミーとして使っていた坂本龍馬が突如として、大政奉還を主張して、日本の内戦を阻止しようと動きだしたのです。

グラバーは秘密結社、フリーメイソンの影響下にありフリーメイソンの勢力を日本で拡大する為にも、日本を内戦状態にして弱体化させろという指令を受けていました。

By: yoppy

フリ―メイソンとは、14世紀に英国で誕生した秘密結社

フリーメイソンとは、14世紀の英国で誕生した秘密結社で、元々は石工が技術を保持する為に起した組合でした。

しかし、その秘密性が結社としての性質を強めていきます。そのメンバーには、アメリカ初代大統領、ジョージ・ワシントン、英国首相 ウィンストン・チャーチル、アメリカ大統領、ハリー・S・トルーマン、アメリカ東インド艦隊司令、マシュー・ペリー等、世界の歴史を動かした一級の人物が所属しています。

彼等はメンバー同士の連携を通じて、世界情勢を自分達の思惑通りに、動かしているとも噂されているのです。

さて、だぶついた武器も売れず、日本を内戦状態にする事も出来なければ、グラバーは完全に面目を失います。

そこで、グラバーが目を付けたのが、海援隊の社員である岩崎弥太郎と土佐の実力者、後藤象二郎でした。

「坂本を殺せば、海援隊の組織をお前達に譲ろう・・・」

グラバーは、岩崎弥太郎と、後藤象二郎に、そのように持ち掛けたのでしょう。後藤象二郎は、元々、龍馬が所属していた土佐勤皇党に暗殺された、吉田東洋の弟子でした。時勢を見て、大政奉還に協力したものの、手柄は龍馬に取られ内心、面白くなかったかも知れません。

岩崎弥太郎も、郷士の身分ではありますが、吉田東洋に引き立てられ、土佐勤皇党を監視する、スパイのような仕事をしていました。

両名とも、坂本龍馬にそれほど、思い入れは無い人物だったのです。

事実、坂本の死後、海援隊は後藤象二郎の手により土佐商会と改名され、岩崎は商会の主任になります。その後の土佐商会の大躍進は、それが三菱の母体になった事でも説明不要でしょう。

もし、龍馬が生きていたら、岩崎は三菱を起こせたでしょうか・・・

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