坂本龍馬と亀山社中が長州征伐で活躍していた!?
亀山社中といえば、1865年土佐を脱藩した坂本龍馬が長崎で結成した貿易結社のことです。
この亀山社中が1866年から始まった長州征伐で活躍していたというのです。
一体どんな活躍を見せたのでしょうか。
ユニオン号
ユニオン号は、大砲を搭載する木製の軍艦です。
1854年にイギリスで建造されると、上海に係留されていましたが、1865年グラバー商会から薩摩の名義で長州藩が50,000両を出して購入しました。
そしてこの船の運用を任されたのが龍馬の結成した亀山社中だったのです。
薩摩では「桜島丸」、長州では「乙丑丸」と呼ばれました。
ユニオン号が薩長同盟のきっかけに
薩長同盟なしに大政奉還は実現できないと考えていた龍馬は、長州の桂小五郎と薩摩藩の西郷隆盛を下関で会見させようと計画していました。
しかし、これが西郷の突然のキャンセルで険悪な状況となってしまいます。
そこで龍馬は、幕府から外国製の武器や艦船の輸入を禁止されていた長州のために薩摩藩名義で武器や艦船を購入して長州に渡し、一方で兵糧米が不足している薩摩藩に兵糧米を提供する案を示します。
そしてこれを実行に移すために購入されたのがユニオン号だったのです。
急遽参戦することに
1866年4月28日、薩摩藩からの要請に応える形で長州から500俵の兵糧がユニオン号に積みこまれ長崎を出港しました。
しかし、到着した5月1日のころには幕府の第二次長州征伐が迫っていたことから、薩摩は兵糧の受け取りを辞退。ユニオン号はその足で長州へ向かうことになりました。
そうこうしているうちに6月7日。遂に第二次長州征伐の戦闘が開始しました。
ユニオン号はその戦闘の最中にある長州に到着、長州藩の求めにより下関開戦に参戦することとなったのです。
実際に6月17日、小倉藩への渡海作戦に坂本龍馬が指揮官となって実戦に加わっています。
長州征伐の勝利はユニオン号のお陰?
長州征伐での長州藩の勝利は、長州藩の士気の高さが最大の要因といえるでしょうが、それ以外の点を見るとユニオン号の果たした役割はとても大きいように思われます。
一つ目は、長州が西洋式の武器を入手することができるようになったことです。
大村益次郎を中心に長州では軍の西洋化が進められていましたが、西洋式の武器を入手できなかったら長州征伐での戦況も大きく変わっていたことでしょう。
二点目は、薩摩藩が第二次長州征伐に参加しなかったことです。
第一次長州征伐で幕府軍の主力として活躍した薩摩藩が、第二次長州征伐に参加しなかったのは、もちろん薩長同盟が理由です。その薩長同盟のかけ橋となったのがユニオン号なのです。
実戦に参加したという直接的な活躍以上に、第二次長州征伐におけるユニオン号と坂本龍馬の果たした役割は大きなものがあるといえるのではないでしょうか。