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坂本龍馬の墓の場所はどこにある?

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京都・近江屋にて何者かに暗殺された坂本龍馬。

現在も人気のある龍馬ですが、その墓はどこにあるのでしょうか。私たちも龍馬のお墓参りをすることはできるのでしょうか。

墓は暗殺の地・京都にあり

龍馬の墓は京都市東山区の京都霊山護国神社の中腹に、同じく近江屋で襲撃された際の傷で死去した中岡慎太郎の墓と並んで立っています。

他にも高知県護国神社や靖国神社にも祀ってありますが、遺骨が納められているのは京都の霊山護国神社と考えられているようです。

京都霊山護国神社というのは、1868年に明治天皇の詔により維新目前に倒れた志士たちを祀るために創建されたという歴史をもつ神社です。

龍馬ら以外にも、木戸孝允(桂小五郎)や久坂玄随、高杉晋作ら長州藩士や頼三樹三郎、梅田雲浜ら安政の大獄の犠牲者も祭神として祀られています。

日清・日露戦争や太平洋戦争の戦死者も祀られており、そうした点から東京・九段下にある靖国神社と性格を同じくする神社とみることができるでしょう。

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意外に小さい!?龍馬の墓石

維新の最大の功労者のように語られる坂本龍馬ですが、その墓石は意外と小さいようです。

そもそも龍馬がこれほどまでに注目されるようになったのは司馬遼太郎の『竜馬がゆく』の影響が大きく、それ以前は一商人でした。

それゆえに、大政奉還の構想をもったのが龍馬であったのに、それを藩主に上奏したのは土佐藩士・後藤象二郎なのです。

脱藩士であった龍馬をおおっぴらに葬ることもできなかったことも理由でしょう。

この墓は海援隊の人たちにより立てられたものと考えられているようです。

しかしながら現在の墓碑は木戸孝允(桂小五郎)が揮毫したとされていますので、墓石は後に木戸が私財を投じて整備した際に立てられたものかもしれません。であれば、もともとの墓石はもっと質素なものだったとも想像されます。

木戸は薩長同盟締結の際、仲介に入った龍馬を直接知っていましたので、龍馬を認める気持ちから墓碑揮毫を買って出たのではないでしょうか。

龍馬祭で軍鶏鍋はいかがでしょう

京都霊山護国神社の境内には龍馬と中岡慎太郎の銅像もあり、龍馬の誕生日で命日の11月15日には龍馬祭が行われています。

龍馬祭では中岡慎太郎の高知県の郷里から軍鶏肉が寄進され、正午ごろから参列された人に軍鶏鍋がふるまわれるそうです。

これは龍馬と中岡が下僕・峰吉に軍鶏肉を買いに行かせている間に襲撃を受け、軍鶏鍋を口にできないままに死去してしまったことに由来しているそうです。

暗殺された11月15日はとても寒く、龍馬らは「シャモ(軍鶏)が食べたい」と言っていたといわれており、京都の寒さの下、軍鶏鍋を食べればより龍馬を身近に感じられるかもしれませんね。

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