斎藤道三は織田信長の正室・濃姫の父親です。
はじめはただの政略結婚だったはずですが、道三は織田信長を高く評価し、最期には美濃国を信長に譲ると言い残しました。
この2人はただの娘婿と義父という関係ではないようですが、実際どうだったのでしょう?
謎に迫ります。
政略結婚
織田信長と濃姫の結婚は、政略結婚でした。
斎藤道三は仕えていた土岐頼芸を尾張に追放して美濃を平定しますが、追放された頼芸は黙っておらず、尾張の織田信秀を頼りにしてちょくちょくと道三へ干渉しようとしていました。
もとは自分の国なのですから、返して欲しいのは当然ですよね。
さて、この織田氏が介入したちょっかいに辟易したのか、頼芸に対する手段として、道三は織田氏と同盟を結ぶことにします。
同盟を結ぶため、自分の娘の帰蝶(後の濃姫)を信秀の息子である信長に嫁がせることにしました。
美濃国への織田氏の介入をとめるための結婚ですから、紛れもなく政略結婚でした。
結婚前後の評価
帰蝶が道三のもとを発つとき、道三は娘に懐刀を手渡して「もし信長がまことのうつけであったなら、この刀で信長を刺し殺せ」と言い渡します。
帰蝶はそれを受け、「承知しました。ですがこの刀、父上を刺す刀になるやも知れません」と答えた…というのは、有名なエピソードです。
結婚前、直後あたりまでは、道三も信長を直接知っていたわけではないようです。
ですが、信長に娘を嫁がせるのですから、一定の評価はあったのだと思います。
帰蝶を嫁がせた後、道三は尾張の国境にある生徳寺で信長と会います。
当時の信長は「大うつけ」との評判でしたので、確かめたかったのでしょうか。
道三は信長より早く着て、信長がどんな格好で現れるかを見ようとします。
やって来た信長は「うつけ」の評判そのものの、とんでもない格好で来ました。
それを見た道三はやはりうつけであったか…と思ったのですが、対面の場に現れた信長はきちんとした装束に着替えており、道三は大層驚いたようです。
対面後に外へ出ると織田方は立派な軍容をしており、それにも道三は驚きました。
これにより道三は信長の技量を見抜き、高く評価したとされます。
「我が子たちは信長の門前に馬をつなぐ(臣従する)ことになるだろう」と、家臣に話したほどだとか。
一度会っただけでここまで評価される信長もですが、評価する道三もすごいですよね。
美濃一国を譲る
道三は息子の義龍によって討たれるのですが、遺言状に
「美濃国の大桑においては、終には織田上総介の存分にまかすべく、譲状、信長に対し遣はすその筈なり」
と書き残しています。
自分の領地を息子ではなく、娘婿である信長に譲るということですから、それだけ信長を評価していたのでしょう。
信長が道三をどう評価していたかは分かりませんが、少なくとも良好な関係を築いていたのではないでしょうか?
自分を評価してくれる人物をないがしろには扱わないでしょうしね。あまり評価を落とすようなことはしたくないはずですが。
しかし、道三が最期を迎えることになる「長良川の戦い」では、信長は援軍を差し向けたものの、合戦には間に合いませんでした。
もし道三が長く生きていれば、信長をサポートしていたのでしょうか。それとも、対立していたのでしょうか?