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久坂玄瑞は高身長の美青年だった!?

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1864年の禁門の変で自刃した「村塾の三秀」の一人、久坂玄瑞。吉田松陰に「防長に於ける年少第一流の人物」「天下の英才」と評され、「晋作の識見を持って、玄瑞の才を行えば、この世に出来ないことはない」とまで言わしめた才能あふれる人物ですが、彼はその容姿も大変すぐれていたといわれています。

のちに玄瑞の妻となる吉田松陰の妹・文は、その美青年ぶりを見て「お地蔵さん」というあだ名をつけたという話があります。一見すると褒めているのかけなしているのかわかりませんが、文なりの褒め言葉だったのでしょうか。しかし、玄瑞は文の容姿を気に入らなかったようで、松陰から文との結婚話をもちかけられた時「妻とするなら美しい人をと望んでいる」と他にもらし、叱られたなんて逸話もあります。

身長は180cmほどもあり、肌は色白さらに美声の持ち主で、久坂が詩を吟じながら鴨川を歩くと、河畔の店から女性たちが顔を出して長州の久坂さんだ、と騒然となったなんて逸話も。現在も「久坂流」と呼ばれる詩吟の団体が活動しています。

当時の男性の平均身長が158cm前後といわれている中で、180cmもあった玄瑞は大変に目立ったでしょうね。

幕末志士の身長

以下、有名な幕末に活躍した人の身長です。はっきりとした記述が残っていない人がほとんどですので、大体ということにはなりますが、背の高い順に並べてみました。

西郷隆盛 179cm

薩摩藩出身。大柄な体格で知られている西郷隆盛ですが、写真は現在確認されていません。私たちがよく知っている肖像は、比較的西郷に顔が似ていたといわれる実弟の西郷従道の顔の上半分、従弟・大山巌の顔の下半分を合成して描き、親戚関係者の考証を得て完成させたものです。ただし、妻の糸子は晩年にこうした肖像は本人に似ていないと語っています。一説には114kgの肥満体型で、征韓論争の頃は肥満を治すため、医師・ホフマンの治療を受けていたといわれています。

大久保利通 178cm

薩摩藩出身。顔立ちからしても背が高そうな感じがします。日本人にしては濃い顔立ちといえるのではないでしょうか。家にいるときも洋服を着て、青いガラス製の洗面器を使っていたそうです。頭頂部にあった禿を気にしており、髪のセットが終わらないと来客の対応をしなかったとか。写真好きで多くの写真が残っているところからすると、自分の容姿を気に入っていたのでしょうか。

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桂小五郎 174cm

容姿端麗で物腰柔らかな性格から女性にモテたといわれる小五郎。174cmもあれば十分高身長といえるのではないでしょうか。

坂本龍馬 170cm

幕末の志士でも6尺(180cm)ともいわれ、大柄で知られていた坂本龍馬ですが、最新の研究では169cmといわれています。明治以降に語られた龍馬の身長の平均が176cmなので、170cmくらいはあったのではないでしょうか。もしかしたら他の志士たちも研究が進めばもう少し小さくなってしまうかもしれませんね。

沖田総司 167cm

新撰組隊士の中でも最強の呼び声が高い沖田総司。身長も土方、近藤よりも高かったのではと見られています。若き天才剣士が労咳により夭逝してしまうというドラマ性に富むその生涯から、「病弱で色白の美青年」として描かれてきましたが、実際に「美少年であった」という記録はありません。容姿に関する記述としては、「ヒラメ顔で笑うと愛嬌があり色黒」「肩の張り上がった」「猫背」「長身」と書かれたものが残っており、現代のイメージとは随分と違うのかもしれません。いつも肩をぐっと上がり気味に張っていたので、見た人は「衣紋掛けみたい」と思ったとか。

土方歳三 167cm

新撰組の「鬼の副長」。写真の通り、色白で引き締まった顔立ちをしています。女性関係は派手で、京都の遊郭では優れた容姿とさっぱりした遊び方で大層もてたとか。小島鹿之助に京都の土方から大きな荷物が届いた時のこと。京土産でも送って来たかと開けてみると、彼を慕う芸者や舞妓からの恋文がびっしり詰められていて、「報国の心ころわするゝ婦人哉」という和歌が手紙に添えられていたといいます。自慢したい気持ちが伝わってきます。

近藤勇 164cm

新撰組組長。口が大きく眉の迫った顔つきで、いつもにこにこしている上に大きな笑窪が出来るので、優しい印象を与えたといいます。口の中に拳が入り、本人はそれを加藤清正になぞらえていたそうです。声は甲高く、それでいて良く通ったといわれています。

高杉晋作 158cm

奇兵隊を率いた「村塾の双璧」。晋作は長身ではなく小柄で、本人もそれを気にしていたため立って撮った写真は現存していません。しかし体に似合わずという長い刀を好んで愛用していました。そのため、刀を引きずって歩いているように見えたそうです。

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