北条氏政の愚将な逸話 味噌汁をかける加減が分からないってどういうこと!?
室町時代から勢力を伸ばし、関東に一大勢力を築いていた北条氏。
その4代当主である北条氏政は北条氏を滅ぼした当主として散々な評価をされています。
暗愚、井の中の蛙など彼が豊臣秀吉の力を侮っていたとされる事に対して愚かだと言われる事の多い北条氏政。
そんな彼の逸話を紹介していきます。
父:氏康を嘆息させた汁かけ飯の逸話
北条氏政を巡る逸話として一番有名な物は「汁かけ飯」の逸話でしょう。
これはまだ氏政の父、氏康が存命だった頃の話です。
父子で一緒に食事をしていた時、氏政が一度汁を飯にかけ、その後少なかったからと言ってもう一度汁をかけました。
それを見た氏康が大きく嘆息して首を振ったので、不思議に思った家臣が食事の後にどうしたのか尋ねます。
すると、氏康は「あいつは毎日食事をしているのに汁をかける加減も分からない。それすら出来ないのでは人の心が測れるはずもないだろう」と答え、北条氏もわしで終わりか…と嘆いたとそうです。
愚かな氏政と、そんな息子の馬鹿さを見抜いていた名君の氏康といった対比が見える逸話ですが、食事のちょっとした作法まで見られて北条氏も終わりかと嘆かれるなんて、ちょっと息が詰まりそうな気がします。
しかし、食事の仕草一つからも気遣いの細やかさが分かるというのは間違っていないかもしれません。
これはその後本当に北条氏が滅んでしまったので有名になった話ですが、実は毛利元就と輝元にも似たような逸話があるので、優れたお父さんだったのに息子さんは…とあげつらいたい時には典型的な話なのかもしれません。
他にもある氏政の無能っぷりエピソード
氏政の逸話としてもう一つ有名な物は麦飯の話です。
ある時農民が麦を刈っているのを見た氏政が家臣に「あの採れたての麦で昼食にしよう」と言ったという物で、それを伝え聞いた武田信玄は大笑いしたというお話です。
「麦を食べるには干す、脱穀、精白、と手順を踏んでようやく食べられるようになるのにさすがお育ちの良い坊ちゃんは違う」というイヤミをここぞと込めたようですがこれも事実だったかは定かではありません。
そもそもネットのある現代ならともかく戦国時代によその国の若様のとんでも発言がそうそう伝わってくる物でもなさそうですが、武田の忍びの力はすごかったんでしょうか。
他にもせっかく珍しいからと贈ってもらった南蛮からのオレンジと橙の見分けがついてなかったなど、何故か氏政の逸話は食べ物関連が多いようです。
氏政は本当に暗愚だった!?
逸話では散々な北条氏政ですが、実際の氏政はそこまで愚鈍な人物ではなかったようです。
有能な弟達を疎んじたりせずに大切にし、良い家臣にも恵まれて北条氏の勢力を拡大しています。
また、当時では珍しい愛妻家としても知られていて、武田氏との関係悪化で泣く泣く離縁させられた正室:黄梅院の遺骨を和睦後に引き取り、きちんと弔ってあげています。
北条氏の滅亡に立ち会ってしまった事が彼の評価を下げてはいますが、本来の氏政は公私共に人を大切に出来る良い殿様だったのではないでしょうか。