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豊臣秀吉の身長はどれくらいだった? 甲冑のサイズからの予測!

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豊臣秀吉が織田信長に「さる」とか「はげねずみ」とか呼ばれていた話は、現代に生きる私たちにも伝わっています。

さるやねずみのイメージって、小さい感じがしませんか?そのせいか、秀吉が大きい男だったと思う人はほとんどいないのではないかと思います。

それならば、秀吉の本当の体格はどうだったのでしょうか?残された手がかりをもとに調べてみました!

秀吉の本当の身長は?

秀吉の身長は、150センチ以下とも160センチ余とも伝えられていますが、どれも確かな説がありません。

実際に秀吉に謁見したことのあるイエズス会宣教師ルイス・フロイスが著した「フロイス日本史」には、秀吉のことが書き残されています。彼は秀吉について、「身長が低く、また醜悪な容貌の持ち主」と言及しています。

戦国時代の平均身長は157センチほどだったので、それより小さいとするならば、150センチくらいでしょうか?

ただ、フロイス自身は195センチもある大男でしたから、160センチ以下くらいならみんな小さく見えるような気もします。

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甲冑からの推測

一方、着用していた甲冑から身長を推測するという手もあります。

秀吉が着ていた甲冑のひとつに、銀伊予札白糸威胴丸具足(いよざねしろいとおどしどうまるぐそく)というのがあり、これを後に伊達政宗に下賜しました。この具足の胴高は32.5センチあります。

一方、政宗が着用していた黒漆五枚胴具足(くろうるしごまいどうぐそく)の胴高は37.6センチあり、秀吉から下賜されたものとと約5センチの差があります。

政宗の身長は159.4センチと判明しているので、単純に計算すると、秀吉の身長は154センチ程度と推測されますね。これに誤差を加えてみると、やはり150センチ前後というのがいちばん考えられる数字ではないかと思われます。

遺骨調査

実際の身長を知るには遺骨調査がいちばん手っ取り早く、伊達政宗には行われましたが、残念ながら秀吉に対してはなされていません。

秀吉の遺体は、京都の豊国神社(とよくにじんじゃ)の背後にそびえる阿弥陀ヶ峰に葬られました。当時は豊国廟と呼ばれましたが、大坂の役以降は次第に荒れていったため、1897年(明治30年)に境内を整備したところ、土中から壺に収められた遺骸が見つかったそうです。

しかし、すぐにまた埋葬されたので、調査はなされていないはずです。このことは、1909年(明治42年)刊行の「史学雑誌17-1」に掲載された、湯本文彦による「豊太閤改葬始末」に書かれています。

このとき、少しでも調査していたら…とも思いますが、豊国神社の再建を発案した明治天皇は、秀吉を祀るためにそれを行ったのですから、遺体をどうこうということは考えなかったのでしょうね。

最後に

秀吉の息子:秀頼は、身長が2メートル近くもあり、体重も重くて、それはそれは大きな男だったと伝えている文献があります。

なんだか対照的な親子ですよね。やはり育ちなどが関係あるのでしょうか。秀吉は若いころは苦労していますしね。秀頼は、いいものしっかり食べていそうですし。

また、秀頼に関してはこの身長差から秀吉と親子ではないのでは!?という説もあります。

xiao

投稿者プロフィール

歴史と犬の話題があれば生きていける、そんな人間です。
平安時代と戦国時代が好きですが、調べ出したらどの時代でも面白いです。歴史って本当に面白いものですね。
「トリビア」な話題を、みなさんにわかりやすく面白く読んでいただけるように頑張ります。

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