織田信長の性格をホトトギスの例を使って簡単解説

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信長の性格を表現していると、よく引き合いに出されるのが「鳴かぬなら 殺してしまえ ほととぎす」です。

戦国の中心人物の性格はこの句の通り三者三様です。

秀吉「鳴かぬなら 鳴かせてみよう ほととぎす」

家康「鳴かぬなら 鳴くまでまとう ほととぎす」

では、信長が「殺してしまえ」と表現された理由となるものは一体どんなことがあったのでしょうか。

背くなら 殺してしまえ ほととぎす

  • 1570年から1574年頃の長島の一向一揆では、2万人以上の人が犠牲になりました。長島は完全に崩壊しました。
  • 1578年、信長は謀反を起こした荒木村重の家臣と城の明け渡しを条件に各々の妻子を助けると約束を交わしました。しかし、村重は受け入れず家臣も妻子を見捨てて逃げたため、荒木一族は処刑されました。
  • 1581年、荒木村重の家臣が高野山に逃げ込み、それを匿います。信長は何度も使者を送りますが、高野山側はこれを拒否した上に使者を殺してしまいます。それに対して信長は高野聖を殺しています。犠牲者は数百人、史料によっては千人以上ともいわれています。

庇うなら 殺してしまえ ほととぎす

  • 1571年、浅井、朝倉を匿ったことを理由に比叡山延暦寺を焼き討ちにしました。信長は僧侶や女子供に至るまでことごとく首を刎ねたといわれています。この戦いの死者の数は史料によって違いますが、1500人から数千人、多いものでは、3000人から4000人と記されています。
  • 1582年、反信長を掲げていた六角氏が恵林寺に逃げ込み、引渡しを要求した織田側の要求を拒否したため焼き討ちにされました。

この時に焼死した快川紹喜は有名な「安禅必ずしも山水を須いず、心頭滅却すれば火も亦た涼し」という言葉を残しています。

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短気・癇癪持ちの逸話

  • 癇癪もちで、乳母の乳首を噛み切るので乳母探しに苦労した。
  • 信長を怒らせてしまった茶坊主の観内は、怒りを恐れて棚の下に隠れてしまいました。刀を振りかざすことが出来ないことに業を煮やした信長は、棚の隙間に刀を入れ押し付ける様にして観内を殺したといわれています。この刀が黒田官兵衛が拝領した「圧切長谷部(へしきりはせべ)」と言われる名刀です。
  • 鉄砲の名手・杉谷善住坊が信長を狙撃しようとして失敗。潜伏先で捕縛された。信長は首から下を土に埋めて、切れ味の悪い竹の鋸で長時間苦痛を与える「鋸引き」の処刑をしました。

殺すばかりではない

短気で逆らう者には容赦なく残虐なこともしている信長ですが、信長から一方的に約束事を破ったことはありませんでした。

意外と繊細な一面もあったようで、単身赴任した部下を叱ったり、秀吉の夫婦喧嘩を仲裁をしたこともあったようです。

交渉に出た官兵衛が戻らず、裏切ったと思い官兵衛の息子に処刑命令を出しますが、後に官兵衛が牢に囚われていたことが判明。竹中半兵衛が官兵衛の息子を殺さず匿っていたことを喜び、竹中半兵衛は命令違反の罪に問われませんでした。

信長は、鉄砲など新しいものを積極的に取り入れたり、茶の湯や和歌など文化的なことにも理解がありました。

実務的なことに関しても、古い習慣にとらわれず、合理化し即断即決ができる決断力など、現在でも信長に惹き付けられる人は多いようです。

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