小さい頃って、たいていの人はあだ名があったかと思います。
見た目だったり、名字や名前をもじったり、単純だけれどその人をけっこう的確に表していたと思いませんか?
織田信長は、家臣にあだ名をつけていたといいます。有名なものは、やはり豊臣秀吉を「猿」と呼んでいたという話です。
でも、実は「猿」とは呼んでいなかったという話が…これって本当なんでしょうか?
猿ではない! 実は別のあだ名があった!
秀吉の浮気癖にほとほと嫌気が差した妻ねねは、夫の主君である信長に訴えたことがありました。
その返事として寄越した書状の中で、信長は「そなたはあのはげねずみ(秀吉のこと)にはもったいないくらいだ」と言っています。
また、秀吉のことを「六ツめ」と呼んでいたと、前田利家の回想録「国祖遺言」にあります。六ツめというのは、秀吉の右手親指が1本多かったためだそうです。
この話はポルトガル人宣教師フロイスの「日本史」にも記されています。
信長が「猿」と呼んだという話の由来は?
信長が秀吉を「猿」と呼んでいた記録はないのですが、他の人たちがそう呼んだ形跡があります。
秀吉が信長に仕える以前に世話になった松下之綱(まつしたゆきつな)は、秀吉を「猿かと思えば人、人かと思えば猿なり」と評しています。
また、1591年(天正9年)に京都市中に張り出されたという狂歌は、「まつせとは べちにあらじ 木の下の さる関白をみるにつけても」と歌っています。猿並みの秀吉が関白になるとは、仏教の「末世」だという意味で、これも秀吉を「猿」と呼んでいます。
秀吉に謁見した朝鮮の使節も、「(秀吉は)猿に似ている」と言っており、多くの人は秀吉が猿に似ていると思っていたのでしょう。
そして、面と向かってではなくても「猿」と言っていたのではないでしょうか。肖像画を見ても、猿に似ていますし…
だから、信長のあだ名好きに合わせて、信長が言ったことになってしまったのではないかと考えます。
他の重臣たちのあだ名
信長はあだ名をつけるのが好きな人物でした。真偽不詳のものを含め、多くの人たちにあだ名をつけています。
最も有名なのは、明智光秀につけた「キンカ頭」でしょう。きんかん、きんかとも言われますが、これは金柑のことです。額が広い光秀の頭の形が金柑に似ているというので、そう呼びました。
前田利家のことは「犬」と呼んでいます。これは彼の幼名「犬千代」に由来します。
また、あだ名とは少し違いますが、自分の子供たちにも変わった名前を付けています。
長男:信忠の幼名「奇妙丸」は、生まれたときの顔が奇妙だったから、とか、二男:信雄の髪の毛が茶筅(ちゃせん)みたいだったから「茶筅丸」とか、そのネーミングセンスは非常に独特です。
だからこそ、変わったあだ名も家臣たちに付けたのでしょうね。
まとめ
あだ名の付け方を見ても、信長のセンスが常人とはかなり異なるということがわかります。
こういう人だからこそ、南蛮文化も抵抗なく受け入れたりしたのでしょう。
ただ、信長に「キンカ頭」と怒鳴られた光秀がひどく傷つき、それが本能寺の変につながったなんていう見方もあるので、あだ名を付けるとき、呼ぶときは気を付けないといけませんね…。