織田信長とお市の方は、本当に兄妹!? 怪しいという噂の真偽とは
戦国時代の織田家、特に信長とお市は美男美女の兄妹だったとよく言われています。そして、兄妹共に悲劇的な最期を遂げていますね。
そんなこともあってか人気は高く、それに伴って様々な説が出てきています。例えば、兄妹ではなかったという話があったりするんですよ。
真相はいかに、ということで、2人について探っていきたいと思います。
実は兄妹じゃない!?
信長とお市、2人が本当は兄妹ではなかったという説が浮上しています。これはどういうことなのでしょう。
お市は信長の愛妾で、政略のために浅井長政へ下げ渡したという話があるんです。そして、すでにそのときお市は身ごもっており、浅井家で出産した茶々(後の淀殿)は、実は信長の娘だった…!?という衝撃の続きがあるのです。
また、お市が浅井長政に嫁いだのは、通説では彼女が20歳を超えてからということになっています。10代での結婚が当たり前だったこの時代では、とても奇異に思えますね。そのため、これが、信長がお市を寵愛していたがゆえになかなか嫁がせようとしなかったという解釈につながったりしているのです。
ちょっと荒唐無稽という感じがしますが、もしかしたらということがありますよね。
従姉妹?異母兄妹?愛人?どこからそんな説が出てきたのか
兄妹でなければ何なのか、ということで様々な説があります。
太田牛一の「信長公記」には、お市のことを信長の「娘分」として浅井長政に嫁がせたという記述があります。娘分とするということは、何か違う関係があったことが推測されます。
また、江戸時代に成立した「織田系図」には、お市は「信長の従兄弟の娘」という位置づけで記録されています。
一方、江戸幕府の初代~10代将軍までの生母や妻たちの略伝である「以貴小伝(いきしょうでん)」には、信長は従姉妹を妹として嫁がせたと書かれています。
もちろん、お市が信長の妹であるという説もあり、信長と彼女は土田御前の腹から生まれた兄妹と言われていたり、お市が側室の子であるため異母兄妹であると言われてもいます。
当時は女子の存在というものが重要視されておらず、系図にもきちんとした記載がないことが少なくありませんでした。そのため、信長とお市の関係性がはっきりと伝えられてこなかったのでしょう。そこら辺が原因となって、従姉妹であったり、異母兄妹であったりと色々な話が出てきたのだと思われます。
最後に
結局、はっきりとこれだと言い切れる関係というものがないようです。ただ、通説による兄妹(もしくは異母兄妹)説がいちばん根強いように感じました。ただ、前述のとおり、兄妹でない血縁関係(従姉妹など)という線も有り得ます。
愛人関係というのは小説のネタとしてはとても興味深いものですが、人々の想像と考察がふくらんだ結果なのかなとも思えますね。何か決定的な記録でも出てきたら、面白いことになるかもしれません。