紛らわしい小野妹子の性別 当時はこの名前が男性の名前だった!?
小野妹子といえば、聖徳太子に遣わされて遣隋使として隋に渡り、超生意気な国書を渡して煬帝を怒らせたということで有名ですね。
そんな小野妹子ですが、「妹子」という名前は現在の感覚でいうと女性のように感じますね。
では小野妹子の性別はいったいどちらなのでしょうか?また、なぜそんな名前にしたのでしょうか?
小野妹子の性別が紛らわしい訳
小野妹子が生きたとされる飛鳥時代には、男性にも女性にも「子(あるいは古)」の文字はよく名前に使われていました。
小野妹子は後年描かれた肖像画などから男性と考えられています。当時は「子」は男性でも当たり前だったので、小野妹子という名前でも、男性であるということは何ら不思議ではないのです。ただ、「妹」は当時は「いも」と読み、男性から見た同腹の女性、または恋人や妻などの親しい女性を現す文字なので、もし本当に小野妹子が男性ならば、なぜ名前に「妹」とつけたかの方が不思議で、その謎は未だに解決していません。
ちなみに「~子」という名前が女性のものとなったのは明治以降からですが、もともと女性の名前に「子」をつけるのは皇室の伝統であるそうです(男子の「仁」に相当する)。
当時の名前で男性にも「子」をつけるのは珍しくないという例として、小野妹子の他にも「蘇我馬子」や「中臣鎌子(後の中臣(藤原)鎌足)」などがいます。
「子」をつける意味
人への敬称として「子」が使われていました。
古くから日本では主に女性に使われる敬称とされていましたが、古代中国では学識があり、人格が優れた男性に付ける敬称とされていたので(例「老子」「孟子」「荀子」「荘子」など)、中国の影響を色濃く受けていた小野妹子の時代は、男性に「子」をつけても何の不思議もなかったのでしょう。
また、「子」には、「一(はじめ)」から「了(おわり)」まで、自分の人生を全うできるようにという意味が込められているとされています。
他には狭義では「子」は男の子を表し、女の子の場合は「女(むすめ・こ)」とするという説もあります。
ちなみに、平安時代の嵯峨天皇(在位:809年~823年)が皇女への命名法を定め、内親王には一文字プラス「子」(例「佳子」様、「愛子」様)という名前にするということが決められました。
(※平安時代の有名な人物で藤原定子という人物がいますが、こちらはその後に生まれた(977年生まれ)人物ですので、この命名法に従い、女性となります。)
それをきっかけに「子」がつく名前を女子に付けるということが貴族社会に流行し、やや遅れて平民の間でも「子」は女子に付けるということが流行りました。
まとめ
現在の感覚だと小野妹子と言われると、女性の名前?となってしまいますが、かつては男性の名前でも何らおかしくなかったという事がお分かり頂けたでしょうか。
でも、何だかちょっと紛らわしいという部分がありますよね。