維新の三傑と呼ばれた大久保利通の性格 実は子煩悩だった!?
明治維新の元勲であり、西郷隆盛・木戸孝允と共に「維新の三傑」と呼ばれる大久保利通。
彼はいったいどのような性格だったのでしょうか?
冷静な超現実主義者
寡黙で他人を圧倒する威厳があり、かつ冷静で現実主義であった大久保利通。そんな彼に意見できる者は少なかったといいます。
陸軍軍人で大久保と同郷の桐野利秋はまともに意見ができないため、大酒を飲んで酔っ払ってから大久保に意見をしようとしたが、それでも大久保の威厳の前では太刀打ちできなくて何も言えませんでした。
山本権兵衛曰く「大久保さんは怖い顔をしており、言葉数も少なく、訪れた者はその威厳に討たれて、言いたいことも言えずにただ小さくなるだけだった」
内に秘めた熱い想い
しかし、大久保利通はただ怖いだけではなかったのです。幼少のころから学問では誰にも負けないほどの優秀な頭脳の持ち主だった大久保はどうすれば日本が強い国になるかを常に考えていました。
国のためには必要だけれど、どうしても予算がつかなかった公共事業のために私財を投じていました。国の借金を個人で肩代わりしていたのです。そのため死後には8,000円の借金が残りました。
(※明治10年当時の1,000円は750万円程度)
日本の行く末を誰よりも案じていたからこそ、同郷の戦友であった西郷隆盛と袂を分かち、ついには西南戦争で敵対し西郷隆盛を討ちました。
大久保は国の為なら自分の私財はおろか、友人や戦友らとの義理・人情などをも切り捨てる覚悟で行動しているので、そういった意味では非常に冷酷に見えますね。
子煩悩なお父さん
そんな寡黙で冷静で恐れられる大久保利通ですが、家庭内では子煩悩な優しいお父さんだったそうです。正妻の満寿子との間に四男一女、愛人のおゆうとの間に四男をもうけた大久保利通。特に一人娘の芳子を溺愛していたそうで、毎日出勤時間前のわずかな時間をぬって、芳子を抱き上げて慈しんでいたそうです。
大久保はいつもは公務が忙しく、家族との時間をとるのもままならなかったけれど、土曜日の夜は必ず家族で過ごすようにしていました。そして大久保はこの土曜日のこの時間をとても楽しみにしていました。
そんな大久保に対して子どもたちもよく懐き、大久保が帰ってくると我先にと出迎えていました。そして大久保の靴を脱がそうとしては後ろに転がるので、大久保はそれを見て笑顔になったと言います。
子どもたちはヘビースモーカーだった大久保のパイプの掃除を朝晩することが日課だったそうです。
対外的には冷徹でとっつきにくいイメージを持たれていた大久保さんですが、本当に子煩悩で子どもたちににも好かれていたのですね。