外務大臣 小村寿太郎はチビだった!? その身長やエピソードに迫る!
日英同盟の締結、日米通商航海条約の締結などで知られる、桂太郎内閣で外務大臣を務めた小村寿太郎。
彼はずいぶん背が低かったと言われていますが、本当にそうだったのでしょうか?
また、当時の平均身長はどのくらいだったのでしょうか?
小村寿太郎の身長はパスポートに記録されていた
小村寿太郎は日向国(現:宮崎県)の下級藩士の長男として1855年(安政2年)に生まれました。1870年(明治3年)には現在の東京大学の前身である大学南校に入学し、海外留学生に選ばれてハーバード大学に留学、法律を学んだそうです。とても優秀だったことが伺えますね。
そして、その留学時に取ったパスポート(今ではパスポートに身長の項目はありません)に身長は「五尺一寸(約156cm)」と書かれていたそうです。しかし、成績優秀だった小村は小さいながらもアメリカの生徒たちに侮られることなく、むしろ小村が通ると敬礼をしたというほど畏敬の念を抱かれていたそうです。
ねずみ公使と呼ばれていた
156cmで痩身の小柄な体型に加え、目はくぼみ、頬はこけ、しかしながら素早い行動から小動物を思わせる風貌であった小村寿太郎は、各国の公使からは「ねずみ公使」、同胞からは「小村チュー公」と呼ばれていたみたいです。
ある時、西郷従道(西郷隆盛の弟)が小村に「その身体で外国人の中に入ったら、子どものように思われるでしょう」という旨のことを述べると小村は、「大丈夫です。私は日本を代表していくのですから。日本は小さくても強い国でしょう」と返したそうです。身長は小さくとも器は大きい人だったんですね。
また、李鴻章(中国・清時代の政治家、下関条約締結時の全権大使)と対面した時、巨漢の李は小村に「この宴席では閣下(小村)が一番小そうございます。日本人とはみな閣下のように小そうございますか?」と皮肉たっぷりの言葉を投げかけたそうです。
それに対し小村は「残念ながら日本人はみな小そうございます。無論閣下(李)のように大きい者もございます。しかし、わが国では『大男 総身に智恵が回りかね』などといい、大事を託さぬこととなっております」とやり返したそうです。頭脳明晰な小村さんらしい切り返しではないでしょうか。

By: sozoooo
当時の平均身長と比べると?
明治時代初期の平均身長は、当時のおかかえ外国人ベルツが調査した結果によると、男子で158cmだったとされています。
また、その他の説では明治初頭には男子は155cmほどしかなかったそうです。どちらにせよこの数字をみると、決して小村が特別小さかったというわけではなく、おおよそ平均的な日本人ということになりますね。
しかし、当時の日本人の90%は農民であり、貧しい食生活を強いられている人たちばかりでした。ですので、農民たちは身長があまり伸びずにいたのです。
一方武士は一日三食きっちり食べることができ、身長ももっとあったといいます。小村は当時の農民たちと比べたら遜色ない体型だということになりますが、彼は武士の家に生まれ、長じてからは外国人と接する機会が多かったため、彼の周りの人間からすると小村は小さい「ねずみ」だったのでしょう。