坂の上の雲で豆をよく食べていた秋山真之 実際にもそうだった!?
慶応4年(1868年)に生まれた明治時代の海軍軍人であった秋山真之。
日露戦争においてバルチック艦隊を撃滅させた作戦を立案したことでも有名です。
その秋山真之と兄の秋山好古、そして親友の正岡子規を描いた司馬遼太郎原作のドラマ「坂の上の雲」では、秋山真之は豆をよく食すという描写がありますが、それは本当のことだったのでしょうか?
本当に豆をよく食べていた!?
秋山真之はドラマ「坂の上の雲」でよく豆を食べているシーンがありますが、実際に秋山はとても豆好きだったようです。
いつも炒り豆をポケットに入れてボリボリと食べていたといいます。それは日露戦争中、後にロシアのバルチック艦隊を撃滅した、東郷平八郎海軍大将が率いる艦船「三笠」に乗っていた時でもそうでした。
秋山は自分の部屋だけではなく、上司である東郷の横にいてても、これからロシア海軍を迎え撃つという時でもお構いなしに豆を食べていたそうです。
そして、豆ばかりを食べているからか、これまた人前でもよく放屁をしていたそう。こんな奇行を繰り返していたが、とても仕事熱心で、頭もよかったので、秋山の参謀を務めていた飯田久恒少佐は「この人は頭がいいから名参謀だが、ふつうだったら変人だ」と思ったといいます。
また秋山の豆好きのエピソードとして有名なのが、母・貞にあてた手紙にこんなことが書かれていたのが有名です。
何か幸便あれば豌豆及空豆二三斗計りイリテ御送被下度候
えんどう豆と空豆を二三斗送ってくれと頼んでいる手紙だそうです。一斗が18リットルほどなので、本当に大量の豆を要望していたということがわかります。
秋山が食べていた豆を味わってみたい!
江田島にある江田島第一術科学校のお土産コーナーに「真之豆」というものが売られていたそうです。
また、秋山が食べていた豆はただ炒っただけのとても固い豆だったそうです。それを真似て作られたとても固い豆(空豆)が「へんこつ豆」や「はじき豆」としてネット等で売られています。
自分で作るには、よく豆を乾燥させてフライパン等で弱火でじっくりと炒っていけばいいそうです。ドラマの中では、秋山の母がホウロク鍋で炒っていたシーンがあるそうです。
当時の人は秋山以外も豆をよく食べていた!?
日本人の豆食の文化は古く、大豆は弥生時代に、えんどう豆・そら豆も8世紀には伝わっていたそうです。伝来当初は炒って食べるだけだった大豆も奈良時代には味噌などにして食べる技術ができていたそうです。
日露戦争の時代、海軍の軍港の周辺にはちょっとしたおかずを売る「納豆屋」というものがあり、そこで下士官以上のものは納豆などを自腹で購入していたそうです。
ですので、日本人にとって豆食は馴染み深いもので、色んな食べ方があったので、真之のようにボリボリと炒り豆をかじってばかりいた人は少ないのではないでしょうか。
しかし、節分に炒り豆を食べるという文化もありましたし、この頃には落花生も伝来していたので、炒り豆を食べているのは不思議ではないとも言えます。今でも主食というほどではないですが、炒ったそら豆や落花生などおやつやつまみとして食べる人もいますものね。
ちなみに日本に戦争で負けたロシア軍は、大量に大豆を貯蓄していたにもかかわらず、もやしにして食べるということを知らなかったゆえに大量に壊血病者を出したので、日本に負けてしまったのではないかと言われています。