秋山好古は超が付くほどの酒好き! 酒豪軍人の素顔とは
陸軍大将で「日本騎兵の父」とも呼ばれた秋山好古。
秋山真之の兄としても知られる彼はドラマ「坂の上の雲」では酒好きとして描かれていますが、本当にそうだったのでしょうか?どんなお酒を好みどれくらいの量を飲んでいたのでしょうか?
また、その当時のお酒はいったいどんなものがあったのでしょうか。
秋山好古のお酒に関するエピソード
部下にも酒を持たせる!
秋山好古は非常に酒好きで戦場でもいつでもお酒が飲めるようにと水筒にお酒を入れて持ち歩いていたとされています。
また、自分の水筒だけでは足りないと、部下の水筒にもお酒を入れて持ち歩かせていました。
そして、騎乗で身を乗り出してその部下の水筒からお酒を飲むという、曲芸まがいのことができ、部下たちを驚かせていたそうです。しかし、どれだけ飲んでいても前後不覚になったり、指揮官として判断を誤ったりするようなことはなく、とてもお酒に強かったみたいです。
ご飯より酒!
そんな豪快な感じの秋山ですが、性格は非常に倹約家であり、贅沢を嫌い、ご飯のおかずは沢庵漬けのみということもしばしばだったそうです。しかし、やはり過度のお酒がたたって、晩年には重度の糖尿病に苦しみました。
1893年(明治26年)に佐久間多美と婚姻をし家庭を持つようになるが、それでも酒好きは変わらず、家にお客が来ようものなら、昼夕に関わらず「まずは酒を出せ」と言ってお茶の代わりにお酒をふるまったそうです。
酒なら何でもいい! どんなお酒でもOK
そんな酒豪、秋山好古ですがお酒にこだわりがあったのかというと、酒と呼ばれる物ならば何でもという感じで、ビールを始め焼酎・日本酒・ウイスキーなど、もはやアルコールが入っていれば何でもいいというくらい種類は選ばなかったそうです。
軍人だった彼は戦場の外では毎日のように友人や部下らと酒を酌みかわし、戦場でも、司令部で作戦を練る時でも常に片手にはお酒を持っているほどだったみたいです。
当時のお酒とは
お酒は古来より親しまれてきましたが、ちょうど秋山が生存していた19世紀後半から20世紀にかけて技術の進歩に伴い大きく様変わりしました。秋山はそういった意味でも時代の申し子だったと言えますね。
さてそんなお酒ですが、文明開化とともにお酒も西洋化の風が吹きます。1872年(明治5年)には大坂の商人である渋谷庄三郎が「渋谷ビール」を発売し、それまで輸入にたよっていたビールが日本人の手によって作られました。
ワインも明治天皇が1877年(明治10年)に西南戦争の負傷者に見舞いの品として贈ったことから、「健康飲料」として大衆の注目を集めたそうです。特にコレラが流行した1886年(明治19年)には鉄分やキレーネ(当時コレラの治療に用いられた成分)が入ったワインを健康増進・病気予防としての飲み物として売り出したところ、飛躍的に売り上げが伸びたそうです。
こうして現在では一般的に飲まれているビールやワインなどの洋酒もこの時代には広まっていき、秋山も好んで飲んでいたそうです。