日本で初めてのルイ・ヴィトンの顧客は後藤象二郎!?
幕末から明治時代の武士であり政治家である後藤象二郎は、大阪府知事や参議などの要職につきました。
板垣退助とともに民選議員設立を建白したことでも知られています。
そんな後藤象二郎は現在でも人気の老舗有名ブランドであるルイ・ヴィトンの日本初の顧客となったそうです。
それは本当のことなのでしょうか?そしてどこで何を買ったと言われているのでしょうか?
「初めての日本人顧客」の真偽
2013年、日本テレビの「NEWS ZERO」でルイ・ヴィトンの顧客名簿の映像が流れたそうです。それによると、後藤象二郎は1883年1月30日に購入し、シリアルナンバーは「7908」であったことがわかるそうです。
多くのサイトではシャンゼリゼ通りの近くの店で購入したと書かれていますが、シャンゼリゼ通り本店は1914年に移転されたので、シャンゼリゼ通りで買ったというのは間違いであると思います。シャンゼリゼ通りに本店を移す前のスクリーヴ通りで買ったのかもしれませんね。
後藤象二郎は板垣退助とともに1882年~1883年に立憲政治視察のため渡欧したそうです。その時にフランスで購入したとされています。
後藤象二郎は板垣退助・大山巌・西園寺公望とともに「ルイ・ヴィトンを買った最初の日本人」と言われていますが、後藤は前述したとおり1883年に、西園寺公望は1886年に、そして大山巌は1882年に購入したとも言われています。それが正しければ厳密には大山巌が一番最初ですが、ヴィトンの日本での先駆者という意味では後藤もそれになるといえるのではないでしょうか。
また、日本で一番最初にルイ・ヴィトンを入手したのは島津斉彬だという話もあります。
どこでどのようなものを買ったのか?
前述したとおり、フランスにたどり着いた際パリで購入したとされています。そこで後藤は総革張りの、110cmの大型トランクを買い求めたと記録に残っているそうです。その時購入されたトランクは板垣や後藤の郷里であった土佐藩があった高知県の、高知市立自由民権記念館に現存しています。
それは記録にある110cmよりは小さいもので、刻印されている名前も後藤ではなく「ITAGAKI」だそうですが、後藤と同じ時に買われたものでしょう。国内ではこれが現存する最古のものだと言われています。シリアルナンバーも「7720」と刻まれているそうです。
当時はモノグラムデザインではなかった!
現在のルイヴィトンといえば、モノグラムが人気を博していますが、そのモノグラムは1986年に誕生するのでそれより以前に購入されたこの鞄は当然ながらモノグラムではありません。
ちなみにモノグラムは日本の島津家と徳川家の家紋を模してつくられたそうです。またダミエは日本の市松模様を真似て作られたそうです。