小山田信茂が率いた 武田の投石部隊ってどんな事をしていたの!?

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三方ヶ原の戦いにおいて武田氏は投石部隊を用いて戦ったと言われています。

その部隊を率いたのは小山田信茂。家康を苦しめた三方ヶ原の戦いで使われた投石とはどのような物だったのでしょうか。

そして、投石部隊を率いたのは小山田信茂だったという説は真実なのか。

今回はその謎に迫りたいと思います。

投石とはどんな戦闘方法だった!?

投石戦法とは読んで字のごとく石を投げる事です。

投石という行為自体はそれこそ原始時代から行われていて、最古の狩猟方法だったと言われています。

人間には牙も爪もありませんから、獲物に近づいて怪我を負わされる事なく狩りを成功させるには遠くから石を投げるのが一番効果的だったのです。

そこから色々な武器が考えられ、狩りから人と人の戦いの時代に入っても投石は長く用いられてきました。戦国時代では戦いの戦法というよりはむしろ戦闘の開始を告げる合図のように投石合戦が行われる事が多かったとされています。

素手で一斉に握りこぶし大の石を相手に向かって投げつけ、そこから弓や鉄砲での戦いに移っていき、最後は槍や刀での接近戦になるのが当時の戦いのセオリーだったようです。

投石その物はそれで相手に致命傷を負わせるのではなく、まず相手にダメージを与えてから畳み掛けるように攻撃する、つまり目くらませのような手段でした。

ただ、拳大の石が飛んでくる訳ですからそれなり以上の威力はあったと思います。石に当たって負傷した為戦線を離脱する武将もいたといいますから、まず最初に敵の戦力を削るには効果的な手段であったでしょう。

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武田氏の投石部隊を率いたのは誰だったのか

戦国時代でも行われていた投石という戦法。

その中で記録に残っているのが武田氏の投石部隊です。先の説明でなんとなくお分かりでしょうが、決して武田氏だけが使った画期的な戦法!という訳ではなく、一般的な戦法だけどたまたま記録に残っている…といったところなんですね。

その戦いは三方ヶ原の戦い。あの徳川家康が這う這うの体で逃げ出したと言われる有名な合戦です。この三方ヶ原の戦いで投石部隊を率いたのが小山田信茂だったと言われています。

小山田信茂と言えば、武田氏を裏切って織田軍に投降してしまったものの処刑されてしまった少し残念な印象の武将かもしれませんが、そんな小山田信茂でもかっこいい所があったのだと主張したいところですが実はこれにも異説があります。

三方ヶ原の戦いで戦った武田氏の投石部隊は『信長公記』や『三河物語』にはそれぞれ「水役之者」「郷人原」と記されています。

そこには小山田信茂が投石部隊を率いたとはありません。時代が下って江戸時代になると武田信玄が小山田信茂を先陣とし、水役之者にも石を投げさせるように命令したとする記述が出てきます。これを読み間違って明治以降の三方ヶ原の戦いを扱った歴史書には投石部隊を率いたのは小山田信茂だと書かれるようになったのだというのです。

小山田信茂はあくまで三方ヶ原の戦いの先陣を切っただけで、投石部隊を率いたのが誰だかは分からない、歴史的にはそれが正解のようです。そもそも投石自体が珍しい物ではないのですから、記録に残す必要もなかったのでしょう。

もしかしたら、あまり記録されないからこそ、武田氏独自の戦法かもしれないと踏んだ研究者達の期待が読み間違いを招いた事も考えられます。

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まとめ

小山田信茂が投石部隊を率いたという説は残念ながら事実だったとは言えないようです。

しかし、三方ヶ原の戦いの投石兵の存在は戦国時代の合戦がそんな物だったかを知る上で貴重な資料だと思います。

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投稿者プロフィール

歴史が好き!!の勢いで突っ走る歴史オタクのライターです。
その時代に生きた人々の文化や偉人達の人間味あふれるエピソードに興味津々。鎌倉や京都、全国の史跡を訪ねつつ温泉や美味しい物を楽しむのが何よりの幸せです。
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