イケメンと評判の山本権兵衛 当時からモテモテだった!?
山本権兵衛(本称:ごんべえ、公称:ごんのひょうえ)は海軍大将で、16代・22代内閣総理大臣にもなった人です。
彼はその写真から現在ではイケメンと評価されています。
そんな山本権兵衛のモテエピソードはあるのでしょうか。そして当時(明治・大正時代)のかっこいいとされてきた人たちは現在でも通用するイケメンなのでしょうか。
山本権兵衛が首相だった頃の「イケメン」とは
山本権兵衛が最初に内閣総理大臣に就任したのは、1913年(大正2年)のことです。このころは「大正デモクラシー」の時流に乗って、西洋の文化が取り入れられ、それまでの伝統的な枠組みにとらわれないモダニズム(近代化推進)の気風をもった若い男女の新風俗が現れるようになりました。このモダニズム精神を持った男性のことを「モボ」と言います。
山高帽にステッキなど西洋文化を思い切り取り入れたファッションが流行りました。ちょっと古臭い感じがするのは当然かもしれませんが、和装でちょんまげ頭だった江戸~明治初期の格好よりも親近感があり、うまく取り入れると現代でも受け入れられるようなファッションだと思います。
この頃は明治から続く西洋文化の推進運動に従い、顔の好みも西洋化してきました。つまりそれまでは切れ長で小さな鼻の顔がモテたみたいですが、目が大きく二重で彫りの深い顔が良しとされてきました。明治~大正にかけて美意識は現在と同じようになってきたということです。
明治時代のイケメンと言われる人物
海軍大将東郷平八郎は鼻が高くとても端整な顔立ちをしています。若いころはおしゃべりでしたが、それを非難されてからは寡黙になろうと努力をして無口キャラになったそうです。
こちらは和歌山県出身の細菌学者、南方熊楠の若いころの写真です。彫りが深くて男らしい顔つきですね。
こちらは言わずと知れた芥川龍之介。ニヒルで爽やかな印象です。目もパッチリ二重で大きいですね。現在でもとても人気がある人物の一人です。
こちらもとても有名で現在でもファンが絶えない太宰治。このルックスと厭世的な雰囲気が女の人を引き付けてやまなかったのでしょうね。
山本権兵衛のイケメンエピソード
そんな西洋風の顔がモテるようになった明治~大正にかけての時代に生きた山本権兵衛。山本も写真で見る限りではとても男前に見えます。特に歳をとってからの写真はダンディなおじいちゃんといった感じですね。
お顔はこの時代でもだいぶんモテたのではないでしょうか。
また山本は強いリーダーパワーを持っていました。弁舌に優れマネージメント能力にも長け、強い信念を持ち、的確な計画をたてそれを遂行する事のできる能力がありました。
そんな山本のリーダーシップがあったからこそ日本は大国ロシアに日露戦争で勝利したのだとする人もいます。山本が元帥であった事実はないですが、元帥だったと誤解されるほど数々の業績を残しています。幼少時代はガキ大将と言われた山本ですが、端整な顔立ちとこの常にリードしてくれそうな男らしい性格はきっとモテたことでしょう。
しかし、山本の恋愛譚はあまり見ることはありません。それは山本は自分がモテたかモテなかったかに関わらず、一人の女性を愛し抜いたという事実があるからではないでしょうか。
山本は海軍少将時代、遊女であったトキに一目ぼれをし、彼女を遊郭から助け出して自分の妻とします。そして彼は妻に誓約書を渡します。
それには
一、夫婦は互いに礼儀を守ること。
一、夫婦睦まじく生涯互いに不和を生ぜさせぬこと。
一、夫婦たるの義務に破るにあらざれば、いかなる事実あるも決して離縁ゆるすべからず。
一、一夫一婦は国法の定る処なれば、誓ってこれに背かざること
と書かれていました。
当時まだまだ身分制度が残っており、海軍士官が士族の娘ではない、平民の娘と結婚することは当時は異例のことで、周囲からの非難もあったらしいですが、それには耳を貸さず、山本はこの妻を誓約書のとおり生涯愛し続けました。この一途に想ってくれる情熱はとてもかっこよく、奥さんからしたら女冥利につきるのではないでしょうか。