戦国時代における武士の食事はどんなもの?
和食は質素で健康的な印象がありますが、現在のように様々な食材がなかった戦国時代はどのような食事をしていたのでしょう?
武士ともなると、合戦に赴くため、それ用の食事もあったのでしょうか?
戦国時代の武士の食生活に迫ります。
食事の頻度
これはよく言われることですが、1日2食が基本でした。
江戸時代あたりも1日2食だったと言われていますね。
夕食(夜食)は基本とりませんでしたが、夜勤務のときなどは例外的に食べていたようです。
なぜ夜に食事をしないかと言うと、照明器具が発達していないので早く寝たためです。
因みに基本の時間は 朝:8時ごろ 昼:14時ごろ 夜食が必要な場合は21時ごろとなっていました。
基本の食事
主食は玄米でした。玄米というのは、精米していない(白米になっていない状態)お米です。黒米、赤米とも言われますね。
当時のお米は質が悪く、よほどうまく炊かない限りご飯はボロボロでした。
余談ですが、玄米を釜で柔らかく炊いたものを「姫飯(ヒメイイ)」と言い、蒸籠で蒸したものを「強飯(コワイイ)」と呼びます。
「強飯」を天美で乾燥させたものは「干飯(ホシイイ)」ですね。
干飯は兵糧米として、また旅の携帯食としても有名ではないでしょうか。
干飯はお湯などでふやかして食べることもありますが、そのままかじることも出来ます。
それと、味噌汁ですね。味噌の原型は「醤(ヒシオ)」と言いまして、奈良時代から存在していました。
これは大豆を主原料とし、それに諸々の穀類を混ぜて発酵させたもので、もろみ状の調味料でした。
この醤の固形部分が味噌となり、溜まりの部分が醤油となりました。
味噌が広まったのが戦国時代ですが、それは食塩の供給が増え、多く作られるようになったからです。
味噌はお湯を加えると味噌汁となりますが、お湯がない場合は味噌そのままでかじっていたようです。
戦国時代の味噌で有名なのは伊達政宗の「仙台味噌」と、武田信玄が考案したとされる「糂汰味噌」でしょうか。
これに魚、小鳥、野菜、豆腐、納豆、かまぼこ、のり、漬物、梅干しなどの副菜が加わります。
戦場に出る武士は活動的なので、塩辛い味付けのものを好んだようです。
基本は玄米、味噌汁、副菜から成り立っていました。
階級別の食事
武士にも階級というものがあります。殿様が筆頭なのは当然として、次に老職、侍大将、目付頭、戦奉行、各支配がきまして、その下に徒大将、馬大将、戦目付、母衣衆、各差配役が位置します。
これらの役職までがいわゆる「上級武士」です。上級武士は上にあげたような食事をしていましたが、副菜のなかでも魚や小鳥などの蛋白源は別格で、よほどのことがない限り膳には登りませんでした。
そういえば、織田信長も徳川家康を接待するために魚を用意していましたね。
一方で「下級武士」とされる各差配役以下の馬衆組頭、馬衆、徒組頭、徒組、足軽大将、足軽、小物頭、小物は下級武士でした。
彼らは上のような食事は出来ず、毎食雑炊を食していたようです。
武士と一口に言っても、所属階級によって食事は様々ですね。
とくに下級武士である足軽は普段は農民でしたから、玄米・味噌汁・副菜のような食事は御馳走だったでしょう。
戦場では特別に白米が支給されていましたので、中には子どもを連れてきて「この子は将来有望な戦闘員になりますので、見学です」などと言って白米を与えようとする足軽までいたようです。
普段満足な食事が出来ない分、戦場は御馳走が食べられる場所だったのでしょうね。