江戸時代の食事は肉禁止?
明治初期の滑稽本『安愚楽鍋』には、大工や人力車夫、書生、芸妓らが「牛鍋食わねば開花不進奴」などと言いながら牛鍋を食べる姿が描かれています。
実際、明治10年には東京に488軒も牛鍋屋があったそうです。
なぜ牛鍋を食べることが文明開化なのでしょうか。それは1200年もの長きにわたり獣の肉を食べることが禁止されていた歴史があるからです。
なぜ獣の肉を食べてはいけなかったのでしょうか。また、本当に江戸時代に食べることはできなかったのでしょうか。
肉食禁止令
明治の1200年前の675年の天武天皇のとき、日本で初めての肉食禁止令が出されました。そこには牛だけでなく馬、犬、猿、鶏の肉を食べてはいけないと記されています。
最近エボラ出血熱で話題となった野生の猿を食べる文化は日本にもあったようで驚きです。
さらに聖武天皇のときには、牛馬を殺したものは杖で百叩きの刑に処すという命令まで出されています。
こうした肉食を禁止する動きは仏教の殺生を禁止する考え方によるものです。朝鮮半島を支配した新羅では獣肉だけでなく、魚も禁止されたそうで、命の塊である卵も無論食べれなかったでしょうから、タンパク質は豆だけだったのかもしれませんね。
肉を食すための隠語
こうした肉食の禁止は隠語を生みだします。
イノシシを牡丹、馬を桜、鹿を紅葉、鶏肉を柏(かしわ)といった具合です。こうした言葉は現在も牡丹鍋やかしわ飯といったように普通につかわれているのでなじみ深いのではないでしょうか。
他にも鶏は禁止でしたが鳥は禁止されていなかったので、ウサギを一羽、二羽と鳥と同じように数えて食したそうです。鶏肉よりも味がしっかりとしていてやわらかいとか。ウサギに関しては、「鵜=う」と「鷺=さぎ」だから食べてもかまわないというとんちまであったといいます。
ちなみに牛は「わか」と呼ばれていました。これは「牛若丸」からきているそうで、そこまでしても肉を食べたい!という人々の情熱と知恵を感じます。
江戸時代の肉食
では、江戸時代はどうだったのでしょうか。
江戸時代はもっとも牛肉を食べることが憚られた時代といわれています。しかし、そんな時代でも牛肉がまったく食べられていないということはありませんでした。
幕末の大老・井伊直助の故郷・彦根藩では毎年将軍家をはじめとした有力大名に対し、干したり粕や味噌で漬けた牛肉を贈っていました。この牛肉プレゼントは彦根藩の外交政策の一環だったのですが、彦根藩主で大老の井伊直弼が「肉食はぜいたく」とこれを禁止したところ、毎年の彦根の牛肉を楽しみにしていた水戸斉昭はこれに大反発。井伊直弼が水戸の浪士に暗殺されると、庶民はこの事件を「すき焼き討ち入り」「御牛騒動」と呼んだなんて話もあります。
また、蘭学者の緒方洪庵も日記に牛肉を食べたとことを記述しており、「ゲテモノ」ながらにファンもいたということでしょう。
肉は薬!?
こうした一方で、『忠臣蔵』で知られている大石内蔵助も大変滋養があるとのことで彦根藩の牛肉を贈った記録でわかります。
このように、牛肉は江戸時代ごちそうではなく、「滋養強壮」のための薬として食べられていたのです。1687年に彦根藩でつくられた「牛肉味噌漬」は「反本丸」という名前で養生薬として商品化されました。しかしながら、牛馬は農耕のための家畜であり食用として飼育されているものはいなかったので、手に入れるのはかなり難しかったようです。
こんなおいしい薬なら大歓迎ですが、現在のように柔らかくなく堅かったとも言われていて、おいしいものではなかったのかもしれません。