江戸時代の武士の生活はどんなだった?
江戸時代の支配者層である武士。彼らは一日何をして過ごしていたのでしょう?その結婚生活は?
ここでは彼らのプライベートな部分の真相に迫りたいと思います。
「武士」の仕事
武士と聞けば、戦って手柄を立てて土地をもらってというイメージですが、それは戦国時代までのこと。天下泰平の世となった江戸時代には戦なんてありません。江戸時代の武士の仕事は何だったのでしょうか。
武士は今でいえば公務員です。幕府の仕事をしている人は国家公務員、藩の仕事をしている人は地方公務員といった感じでしょうか。
ですから警察のような仕事から政治を行う人、主君の身の回りの世話をするなど仕事内容もそれぞれで、1日の勤務時間にも1か月の勤務日数にも仕事によって幅があったようです。
お城番が月に数日しか仕事がない一方で、財務会計を行う御算用者は激務だったとか。
文化の担い手となった武士
こうした職務による給与だけでは生活していくことができない武士がほとんどでしたので、多くは空き時間を使って内職をしました。
時代劇でも傘張りや耳かき作り、用心棒などのアルバイトに勤しむ様子が描かれていたりします。
まじめな武士は空き時間に勉強したり、剣術の稽古をしたりしていたそうですが、大体は空き時間を遊んで暮らしていました。
江戸時代に人形浄瑠璃、三味線、歌舞伎などが脚光を浴びるのも、武士がその消費に寄与していたからです。
また、彼らは教養を活かして小説を出版したりもしました。
『金々先生栄花夢』を描いた黄表紙作家・恋川春町も紀州徳川家付家老の家臣の次男であり、『南総里見八犬伝』で知られる曲亭馬琴も旗本の屋敷で用人を勤めていた人物の五男です。
町人文化としてしられる江戸時代の文化も、「暇な」武士の存在がその発展を支えていたんですね。
結婚相手は顔じゃない!
町人は見合いや「くっつきあい」という恋愛結婚をしたりと、現代の私たちと変わらない婚活だったようですが、武士はそうはいかなかったようです。
彼らにとって結婚とは親や主君からの「命令」でした。結婚前に相手に会うことも、やっぱりやめた!と逃げ出すこともできませんでした。(いや、勇気のある人は逃げ出したかもしれませんが)
武家に生まれたからには顔かたちにとらわれてはいけない、10年もたてば美人もイケメンもどうせしわしわになるのだ、そんな教えがあったとか。
武士が結婚に求めるのは、「笑顔の絶えない楽しい家庭を築く」なんてことではなく、世継ぎをつくり家を存続させることでした。料理が上手でしとやかで美人でも世継ぎを生むことができない嫁は離婚をつきつけられても仕方がないのです。
しかしながら実際、武家の夫婦の10組に1組は離婚していたそうです。
『紅の豚』に「結婚は惚れるより慣れだってよ」というセリフがありましたが、こうした考え方は江戸時代にすでにあった考え方なのかもしれませんが、離婚率を見ると「慣れ」ではどうすることもできなかったのでしょうね。
武士という誇りを守るために
こうして見てみると、武士という特権階級にありながらその生活は決して優雅なものではなかったことが伝わってきます。毎日仕事に勤しむ町人のほうがずっといい生活をしていたかもしれません。しかも結婚相手は自分で選ぶことができるのですから、武士は町人を羨んでいたかもしれませんね。
しかしながら、明治初期の四民平等や徴兵令、廃刀令に反対し、命をかけて武士の地位を守ろうとしたことを考えれば、金銭的な豊かさ以上に彼らが武士としての誇りを大切にして生きていたのだと思われるのです。