江戸時代の農民の生活はどんな感じ?
みすぼらしい服を着て、ふるぼけた家に住む。武士の支配のもと苦しい生活を強いられていたというイメージの強い農民の生活。
はたして農民の生活というのはどのようなものだったのでしょうか。
農民の1日
江戸時代の農民は夜明け前に起き、明るくなると畑で農作業に従事、日が沈むころに家に帰り、夕食後しばらくは藁を編んだり、農具の手入れをしました。
と言いたいところですが、そうでもなかったといわれています。
慶安の御触書に「早起きし、朝は草を刈り、昼は田畑を耕作し、夜は縄をない、俵を編むなど、それぞれの仕事をきちんと行なうこと」とあるからです。
農民がこうした理想的な農民生活を送っていればわざわざこんなことを書く必要はなく、意外に「遅寝遅起」な農民も少くなかったのかもしれませんね。
農民の休日
農業に休日はないのですが、公的に農民の休日というのが定められていたそうです。お盆や正月、お祭りの日などでそれでも年間30日~50日くらいであり、かなり働き者であることに違いはありません。
休みは毎月決まった日数が休みだったわけではなく、農繁期(5月の田植えや10月の稲刈り)は1日も休みがなかったりと、毎月休みには差があったようです。
しかし、休みと決められた日はきっちり休まなければならず、一方で休みでもないのに休んだら処罰されていたとか。体調を崩したらどうしていたんでしょう。
農民の結婚
農民の結婚相手となる女性に求められたことは、労働力となる子供を産むことでした。結婚後に子どもが産めない体だったとか、体が弱くて子どもが産めないとかでは困るわけです。
そのため顔も見ない相手ととりあえず結婚する武士とは異なり、農村ではまず事実婚となり共に暮らし、婚前交渉の末大丈夫との確認がとれてから結婚という運びとなりました。
武士以上に「惚れた腫れた」の問題ではなかったのです。
意外にのんきな農民生活
江戸時代の農民と聞くと、貧しく苦しい生活を強いられていたようなイメージがあります。しかし、実際には大飢饉でも起こらない限りそうしたこともなく、明治以降に「作られた」イメージといわれています。
江戸時代というのは米に対しては5公5民とも4公6民ともいわれる高い税率をかけられていましたが、米以外の商品作物、染料の藍や紅花、蚕のえさとなる桑、紙の原料となる楮などには税が課せられていませんでした。
農民は稲作の合間でこうした商品作物を栽培し、お金を手に入れ、より生産力を高める金肥を手に入れたりしました。
そしてそれらのお金を貯めて、伊勢神宮に参拝する「お伊勢参り」の資金にしたりして、楽しんでいました。もちろんこれは全員行くわけにはいかないので、毎年当選した一人が代表して参拝していたようですが。
また、副業として手工業も盛んで、18世紀には問屋制家内工業という問屋商人が資金や原料を前貸しして家で機織りなどが行われていたのです。
搾取されるだけじゃない!
こうして考えると農民の生活というのは意外に自由な時間もあるし、楽しみも多いそんな生活だったようですね。
明治に入り、地租改正に反対した農民たちの動きを勉強すると、江戸時代の年貢の高さに苦しんでいたというイメージをもってしまいますが、年貢も地租も農民の生活で「命にかかわるほど」大きな負担とはなっていなかったのかもしれません。
しかしながら、地租は江戸時代よりも「安くならないように」設定されていたので、よりよい生活を求めるため立ち上がったというのがあの反対一揆の実態でしょう。江戸時代の農民の間ではさかんに算学が学ばれていたといわれており、おとなしく搾取されるだけじゃない!という農民たちの賢さが感じられますね。